こんにちは!友だちの数が少ないことでは右に出る者がいない @kun_maaです。
僕は1年に1度くらいですが、1週間ほど海外に独り旅に出ることがあります。
独りですから気楽だし、携帯も電源をオフにしているので誰ともつながっていません。
そこで過ごす時間のほとんどは独りですが、寂しくはありません。
現地の人や、珍しいモノ、出来事、なにを見てもなにを聞いても退屈しないし、何もしないで過ごす時間は、ぼーっと自分自身との対話をしています。
そのときだけは、何ものにも属さない、誰ともつながらない、何かしなくてはならないこともない、体裁を取り繕うこともないという素のままの自分でいられる貴重な「孤独」を十分に満喫できるのです。
さて、「友だちいない」は”恥ずかしい”のか いろいろと議論となりそうなタイトルと内容の本ですが、結論から先に言うと「友だちがいない」云々というよりもサブタイトルである「自己を取り戻す孤独力」という部分に力点が置かれている本です。
「孤独」という言葉は「孤立」と混同されがちです。
でも「孤立無援」とは言いますが「孤独無縁」と言いませんよね。
「孤立」というのは、人間が社会的な生物であり、1人では生きていけないことを考えれば、できることなら避けるべき状態です。
しかし、本書で「孤独力」と著者が名づけるものは、情報過多となり、強迫的に誰かとつながっていなければ不安であるという現代社会において、さまざまなコミュニケーションから一歩自分を引き離し、静かに自分の人生や生きることについて自分自身との対話を行う時間を持つことで「自分はこれでいいんだ」と自己肯定できるようになる力のことです。
それは自己を肯定するとともに他者をも肯定することにつながり、本当の意味でお互いに協力できる自立した個人同士のつながりを可能とする土台となるものなのです。
いま我々の社会では、誰もが1人でいることを恐れて、誰かとつながっていようとしているように思えます。
多くの人が、誰かと一緒にいることが人間的で、人とうまくコミュニケーションできない人は一人前の社会人になれないとさえ考えられているかのようです。
ビジネス書や自己啓発本には「コミュニケーション能力のある人が社会的な成功」を手にするという意味合いのものがあふれています。
各メディアからは四六時中情報があふれ出し、本当に自分が必要な情報なのかどうかも考える暇がないほど振り回されています。
そのような社会で、したくもないのに自分を無理に他人に合わせようとしたり、1人でいることを避けるために自分の気持ちを抑え込んだり、つながりを求めてネット中毒になったりもします。
著者は、このような社会を「超コミュニケーション社会」と呼び警鐘を鳴らしているのです。
「孤独」というものの本来の意味を考えながら、自立した自己として、必要以上に他人に依存せずに社会で生きていくためにどうしたらいいのか、著者は本書を通して様々な提案を行っています。
それは、ひとりでいることはよくない、みんなでいることがいいことなのだという社会的強迫観念からの逃れ方であり、自己肯定に裏付けられた本当の意味でのコミュニケーションのあり方であり、「孤独力」を取り戻すための自分の見つめ方であったりします。
最後に、著者が引用したフランスの哲学者アランの言葉を紹介して終わりましょう。
「人はけっして孤独ではない。人はだれでも、もうひとりの自分をもっている。静かに、耳を傾けてみなさい。言葉をかけてみなさい。やがて、対話が生まれ、師とも友ともなって、あなたの人生を豊かなものにしてくれるはずだ」
誰かとつながっていないとなんとなく不安なあなたへお薦めの本です。