[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]自分を探すという病について @kun_maa

こんにちは!@kun_maaです。
 
いくつになっても、「自分の居場所はここじゃないんじゃないか・・・?」などと考えがちな「自分探し」人です。
 
2月19日に参加した「東京ライフハック研究会」で講演された堀正岳さんのお話の中で紹介された「自分探しが止まらない」という本を読みました。

 

この本は、世の中に溢れる「自分探し」について、若者を中心に自己啓発ムーブメントや海外放浪などの個々の事例を眺め、「自分探し」を取り巻く社会状況を掘り下げています。

 

「自分探し病」の症例集のようになっていますが、それに対する治療法は「自分探しに振り回されず、前向きに生きる姿勢であると信じている」としか書いていません。

僕自身はそもそも「自分探し」という言葉も、自己啓発やその類いの本も好きではありません。
 
さらにいうと「ポジティブシンキング」も「そりゃそんな風に考えられれば楽だよね」程度にしか思っていません。
 
 
そもそも、自分の内面に「まだ見ぬ自分」が隠れていて、環境の変化や考え方を変えるだけで「本当の自分」が現れるなんて考えられること自体「ぐぬぬ…」って唸ってしまいます。

 
海外放浪したって、「本当の自分」なんか見つかりません。普段の生活の中で見つからない「本当の自分」とやらに、海外を放浪したからといって「はい。こんにちは!」なんて出会えるわけなんかないです。
 
僕もインドを始め、いくつかの国々を旅したことありますが、そこで出会えるのは厳しい現実と掛け値なしの情けない自分だけです。
 
そもそも、自分を探しに海外へいくという発想が間違ってます。海外には自分以外を探しにいくものだと思うのです。

この本では「若者の自分探し」が主に語られるとともに、そういった「自分探し」について団塊の世代との共通性についても述べられています。団塊の世代も「自分探し」してきたんですね。

僕は団塊の世代ではありませんが、もういい大人です。でも、冒頭に書いたように、いまでも時々「ここは自分の居場所じゃないのでは・・」「こんな生き方は自分の本当の生き方ではないのでは・・」などと考えたりします。
 
そのときに、現実逃避の方向に「自分探し」をすると痛い目にあいます、経験上。
 
「自分探し病」も風疹と同じで、大人になってからかかると重症化するんじゃないかなあと思います。

なんとなく大人の「自分探し」って若者のものと比べて不純な感じがつきまとってしまいます(自分だけ?)。
 
破滅的な方向に進んでしまう可能性が大きいし、余計なお世話かもしれませんが、大人の「自分探し」は「快楽」=「自分らしく生きる」って感じがしてしまって(自分がそうだったから・・)ろくなことはありません。
 
 
まとめ
 
パスカルは、「人間というのは部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしをもとめてしまう」といいました。
 
それと同じで人は暇を持て余すと「自分探し」をしたくなるのではないでしょうか?毎日生きるのに精一杯だったり、明日の生死も定かじゃないような状況で「自分探し」しようなんて思わないでしょ?
結局それなりに豊かな社会の贅沢病なんだと思います。
 
今とは違う自分になりたいなら、安易に環境や自己啓発に頼らずに、なりたい自分になれるように具体的に努力するべきだと思うし、目標が見つからないなら、見つかるまで目の前のことを一生懸命やってみることが必要なんじゃないかなと思います。

それに「自分探し」なんて現実逃避を一生懸命やるくらいなら、そのエネルギーを目の前の現実を変える努力に向けた方が有意義で幸せに生きられるんではないのかなあなどと思ってしまうのです。