[ま]マタニティマークとおじさん @kun_maa
席がガラガラに空いていて自分だけ立っているとどうにも不自然だなってときや、体調が悪いときにしか僕は電車で座ることがない。
その例外が朝の通勤電車。
始発駅から乗車できるので、最寄駅から乗換駅までは今の職場に通うようになってから毎朝座っている。
少し前までは毎朝同じ場所に乗っていたのだけど、汗かきおじさんや図々しい爺さん婆さんとの攻防、インド系の人々の発する香辛料の体臭に疲れてしまったので、現在はちょこちょこと乗る場所を変えている。
通勤電車でいつも同じ席に座ってるんだけど今朝は折返し乗車しやがった婆さんにその席を取られた。腹立つなあ◯ねよって思ったけど、その席で僕の隣には毎日インド系の男たちがわらわらと座ってきておしゃべりの喧騒とカレー臭に包まれるのだ。(続く)
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
(続き)婆さんもその洗礼を受けろや!ざまーみろってちょっとワクワクして待ってたらいつもの席が空いてるのにインド系の男たちが僕の周りにわらわらと座ってきた…なんで?君たち僕の仲間?友達?
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
席に座ったときは本を読むかスマホでドラマや映画を観るか目を瞑って音楽を聴いているかという過ごし方の僕はいずれにしても周囲に目を配ることはない。
ただ隣に座った人の動きには敏感だ。
それは隣の奴の肘が当たったとか貧乏ゆすりが酷いとか咳がうるさいとか鼻くそをほじっているとか落ち着きなく動いているとかそんなことだ。
そういうことが気になって嫌な気分になることが多いというのも僕が電車の中で座りたがらない理由でもある。
それはいつもの通勤電車の初めて座った場所でのこと。
僕が乗り換える駅のひとつ手前の駅に到着したときのことだ。
隣に座っているおじさんが急にきょろきょろしだして挙動不審。
うざいな...
あまりに動くので「居眠りでもして自分がいまどこの駅にいるかわからなくなったのか?」ってちょっと小馬鹿にした眼差しで様子をうかがっていると、このおじさん急に立ち上がった。
「ああ、やっぱりそうかいまから慌ててこの駅で降りるのか。ドアに挟まってしまえ!」と思った刹那、今しがたこの駅から乗ってきたと思しき女性に合図して席を譲ったのだ。
そしておじさんは少し離れた場所に移動してなにごともなかったようにつり革につかまった。
席を譲られた女性は会釈しながら小さな声でありがとうございますと言って僕の隣に腰を下ろした。
おじさんと女性はそれ以上会話などなく、特に知人という感じでもなかったので不思議に思い僕の隣に座ったその女性の方をチラッと見たらバッグにマタニティマークのキーホルダーが揺れていた。
マタニティマークは知っていたけど通勤電車で実際に見たのは初めてだった。
いや、今までも周囲にいたのかもしれないけど全く気付いていなかっただけかもしれない。
そのおじさんが周りに無関心な僕とは違って乗車中は常にマタニティマークをつけている人を気にしているのか、それとも毎日同じ場所に乗ってくるその女性に毎回席を譲っているのかそれはわからない。
これが普段あまり電車での態度や行動にいい印象のない爺さん婆さんたち(ごめん)に席を譲ったのなら僕はたぶんなんとも思わなかっただろう。
だけど僕が今まで存在は知っていたけど気にしたことのなかったマタニティマークの人に対して、自分の隣に座っていた僕より年上そうなおじさんがサッと席を譲ったのだ。
軽く衝撃だった。
ボーッと生きてんじゃねーよ!だった。
なんとも言いようのない罪悪感のようなものが心の中に沸き起こってきたけど最早どうしようもない。
すでに席は譲られたのだ。
罪悪感のようなものの後に感じた同じおじさんに対する敗北感にも苛まれながら僕は隣駅でうつむきながら電車を降りた。
せめて次は次こそは迷いなく立ち上がってマタニティマークの女性に颯爽と席を譲れるようになろうと、爺さん婆さんには決して席を譲ったことのない僕は思った。
席を譲る行為の対象に対するこのモチベーションの違いはなんだろうかと訝りながら。
そんなちょっと苦い昨日の朝の出来事を忘れないように書いておこうと思った僕はこうしてブログに書いているわけだけど、今朝は同じ状況になるのが恐くて違う場所に乗ってしまった。
そういうとこだぞ。
これだから僕はいつまでたってもダメなのだ。