人は結局のところ自分の見たいものしか見ない。
同じ空間に存在して同じ空気を吸っていたとしても別の世界に行きているかのように人それぞれ自分が認識している世界は違う。
これは比喩でもなんでもなくて実際に見えている世界が生きている世界が違うのだ。
それは例えば赤外線を感知できる目を持つ昆虫が見ている世界と僕が見ている世界が全く別の世界であるように。
ある閉ざされた部屋の中で暮らしている母と子がいた。
そこは母にとっては理不尽な世界だったが子にとっては物心ついてからのすべての世界だった。
だから彼らの見ていた感じていた世界はそれぞれ大きく異なっていたのにそのことはお互いに知りようがない。
たとえ知ったとしても理解できなかったはずだ。
天窓の外に広がっているはずの想像するしかなかった世界が突然全力で自分に迫ってきたときに、それまで自分を包んでいた世界が脆くも崩れ去っていく衝撃とは一体どれほどのものなのだろう。
理不尽な世界から解放されて既に失われてしまった世界に止まっていた時間ごと放り込まれる気持ちとはどんなものなのだろうか。
お互いを支えあっていた幻想が崩壊し当然だったものが当たり前でなくなる。
一方はその状況に耐え切れず精神のバランスを失い、他方は戸惑いながらも新しい人生を受け入れていく。
それまで信頼して安心しきっていたものとの決別とそれでも切れることのない愛情の糸の力強さに魅せられる。
そしてそれぞれの世界が再び交錯し新たな世界へ飛び込んで行こうとする戸惑いの中で、過去の世界とどのように折り合いをつけ割り切って進んでいくのか。
それとも結局は自分の見たいものだけしか見えずに過去を引きずり続けるのだろうか。
この映画にはそんな自己世界の崩壊と再生の物語が切なくも愛おしく描かれていた。