数ある新海監督作品の中にあってこれはもう別格で大好きな作品「言の葉の庭」。
映画は高校生の孝雄と27歳の謎めいた女性雪野のふたりの視点から描かれた46分の中編作品。お互いに惹かれ合う不器用なふたりの切ない物語だ。映画版のキャッチフレーズは「"愛”よりも昔、"孤悲"のものがたり」というものだった。
映画を観て泣いた僕が小説を読んでさらに泣いた。
小説版の著者はもちろん新海監督その人だ。
映画の「言の葉の庭」では描かれなかったその後の「言の葉の庭」を描いているというだけで僕なんかはすでに胸熱なのだが、映画とは違った視点からの描写とそれぞれの登場人物の過去から現在につながる出来事や心情が事細かに描かれていることがこの作品の真骨頂である。
章ごとに入れ替わる登場人物の視点。
孝雄と雪野のふたりはもちろんのこと、孝雄の母や兄、雪野の元彼、映画では完全なる悪役だった相沢祥子。
それぞれがどんな人生を歩んでどんな人たちから影響を受けて何を思って映画に出てくるシーンでの行動や台詞につながっていったのかが細やかに描かれていく。
小説版も孝雄と雪野を主軸とした物語ではあるのだが、単なるふたりの男女の切ない物語では終わらない奥深さを感じさせるのだ。
それぞれの登場人物が大きな存在感をまとって立体的に迫ってくるとでも言えばいいのだろうか。
映画を見た後で小説を読むと映画だけではわからなかった台詞の背景や心情に納得させられたり驚かされたりの連続である。
そしてそれぞれの視点で描かれている登場人物の誰もが孤独をその内に抱えながら精一杯生きている姿を描いた作品であることがわかる。
そう、どうせ人間なんてみんなちょっとずつおかしいのだから。それでも懸命に生きているのだから。
映画版が孝雄の雪野に対する「"孤悲"のものがたり」だとすると小説版はまさに登場人物すべての"孤悲"の物語だと思う。映画版よりも深い"孤悲"のものがたり。
あとがきで新海監督も次のように書いている。
多かれすくなかれ皆が片想いをしている。書きたかったのは人々のそういう気持ちだと、あらためて思う。孤独に誰かを、なにかを希求する気持ちが、この世界を織り上げているのだ。本書で描きたかったのは、そういうことだ。
なんて僕の琴線に触れてくる作品なのだろうか。
映画を観た人はもちろんのこと、まだ観ていないという人には映画を観てから是非!という感じで超絶おすすめの作品である。
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