タイトルが「<子ども>のための」だからといって簡単な哲学の入門書だと舐めてかかってはいけない。確実に後悔することになる。
そのまま子どもと表示しないで<子ども>となっているところが落とし穴。
大人になるとたぶん忘れてしまうのだが、誰でも子どものころは自分や目の前の世界や様々なものが現に今ここに存在することの不思議さについて多くの疑問を抱えていたのではないだろうか。
でもそんな疑問を大人になって持ち続けて常に考えているようだと日常生活に支障をきたすし、何かの役に立つわけでもないから普通の人はそんな疑問の存在すら気にしなくなるものだ。
でも本書の著者である永井均は違う。
大人になってもそのような子どもの頃に感じた素朴な疑問を持ち続け、考え続ける人を<子ども>と呼び「誰とも共有できない問いについて自分ひとりで答えを考え続ける」というのが永井の哲学であり<子ども>の哲学なのである。
だから本書は他人の思想に染まったり「大人」の分別を身につける前の<子ども>の驚きや疑問を入口として、それぞれ自分自身の考えるべき問題を考え抜くことこそが哲学なのであるという著者のメッセージを伝えるための本である。
したがって内容は難しい。入り組んだ思考実験をいくつも考え抜かなければならないからだ。著者自身の<子ども>の問いである「なぜぼくは存在するのか」と「なぜ悪いことをしてはいけないのか」に対する思索を通して、自分の頭で考えることの意味を考えさせられる。
一般的に「哲学」と考えられているものと本来の哲学であるはずの<子ども>の哲学の違いにハッとさせられるし、なぜ「哲学」が難しいと思われるのかがすっきりとわかり哲学に対する見方が変わる。著名な哲学者たちの思考を解読して理解することが本来の哲学のあり方ではないのだ。
しかし本書を読むことで「哲学」を理解した気になっていると、それはやはり本来の哲学の意味とは違ってしまうし、僕がこうやって感想を書いている時点でまたそのメッセージは不正確なものになってしまう。
気にしなくても日常生活では困らないような物事を必要以上に気にしてひとりで考え抜くのが哲学ならば、文字や他人の言葉に変換された時点でそれが伝達の限界となるのはやむを得ないことであるというもどかしさよ。
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