力なき正義はスローガンにすぎず正義なき力は暴力である。
さらっと書いてみたけどここでいう正義を決めるのは果たして誰か。
絶対的な正義なんてものが存在しないことはきっと誰でもちょっと考えればわかる。
絶対的に中立で正しい人間なんていやしない。
もしそんな人がいたらそれは人間ではなく神だ。
時代や文化が異なれば倫理観も変わる。
そんな大業なことを言わずとも個人個人で倫理感や正義のあり方が異なるからこそ人間関係に軋轢が生じたりする。
それでもいやそうだからこそ人は自分の正義を信じて生きていくしかないのかもしれない。
自警主義はだからこそ危うさと隣り合わせとならざるをえない。
それぞれの立ち位置によって救済者にもなれば暴力装置にもなる。
そんなことを考えながらの映画「イコライザー」である。
イコライザーの意味は平衡とか平準化。
音声信号の特定の周波数帯域を強調したり弱めたりすることで音質の改善や意図した音作りをするのに使われる音響機器の名前でもある。
この作品では悪を抹消し正義を実行することで世の中の均衡を保つとか改善する、或いは主人公が正しいと信じる世界を意図的に作り出すという意味が含まれているのかもしれない。
デンゼル・ワシントン演ずる主人公マッコールはホームセンターに勤務する人当たりが良くて面倒見のいい好人物だ。
彼はひとりの時にはどことなく影を引きずり不眠症でもある。
きっと過去に何かがあるのだけどそれが何かそして彼が本当はどんな人物なのかは明かされない。
そんなマッコールがある日ある事件をきっかけにして正確で冷酷無比な人殺しの一面を見せる。
自分に関係する人間に害をなす悪人たちを驚異的な観察力と判断力、そして俊敏で強靭な肉体の動きで瞬殺するのだ。
簡単に言えば人殺しなのだけどそこには彼なりの正義が行動原理として貫かれているので悪人にも行動を改めるチャンスを必ず与える。
そして殺さずに済むのであれば殺しはしない。
とはいえ殺す時は最短の時間で効率良く始末するから恐ろしい。
その様子はさながら殺人マシーン。
テンポが良くて小気味よさすら感じる殺しとはこういうのを指すのだろうと思わされる。
彼が背にしている十字架が具体的にどんな出来事なのか最後まで明かされることはない。
けれどその出来事が現在の彼の正義を突き動かしているのは確かでありなんでもかんでも明らかにしないこういう表現もありだなって思う。
自分の正義を貫くマッコールにブレはなく弱みすら見せることはない。
時折見せる哀しげで全てを達観したような眼差しが印象的でこんな表情のデンゼル・ワシントンにどこかで見覚えがあった。
映画「トレーニング・デイ」で悪徳警官を演じた彼の姿を思い出したのだ。
この2作品はどちらも監督が同じアントワーン・フークアだった。
自分の正義を信じて迷いなく行動するそれぞれの主人公の姿が方向性は違えど重なって見えたのかもしれない。
本作の続編である「イコライザー2」が現在劇場公開中だ。
主演・監督とも変わらずデンゼル・ワシントンとアントワーン・フークアのコンビ。
内容については調べていないのでわからないが彼の正義が暴走するところは見たくないなと躊躇している。
それは「イコライザー」のラストシーンで彼の正義が肥大拡散していく予見があったから。
それはさておき「イコライザー」ってタイトルを見るたびに池田エライザを思い出して妄想に耽ってしまうのなんとかしたい←
@elaiza_ikd LEVEL19→20 (小学館セレクトムック)
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