[ま]うつろう心 @kun_maa
徒然草に「風も吹きあへずうつろふ人の心の花」と詠まれたものを引き合いに出すまでもなく過去から連綿とうつろいゆく人の心。
もちろんうつろうのは他人の心だけではなく自分の心すらうつろうことを止められはしない。風も吹かないのに花のように変わってしまう心は自分の心でもあるのだ。
昨日と今日の自分はやはりどこかが違っていて、今日の自分は明日も同じであることを誰にも約束できない。
感情が高まればその変化の度合いも高まる。挙げ句の果てに訪れる情緒不安定な自分に飲み込まれて自分を持て余し途方にくれる。
他人の心が変わってしまうのを食い止めようと足掻いて苦しむのも人の業ならば自分の心の変化に戸惑いながら変わってしまった自分を許すことができずに闇に落ちていくのも業。
350gの野菜を毎日喰らい運動と瞑想を繰り返したとしても、どんなに心を鍛錬したとしても、他人の心も自分の心も同じ場所に繋ぎとめることが不可能であるならば、そんなことは端からあきらめて変わりゆくのが人の心と泰然自若としていられればどんなに楽なことだろう。
だけどそうはいかないから僕らはいつも苦しむ。
思うままには生きられないんだよってさみしそうに呟いて傷ついていたあの人は虚構の世界に浸って自分を変えようとしていた。そっちはどうだい?こっちにおいでよっていつまでも終わらないかくれんぼ。
変わりゆく心にすがりつくのも人ならば変わらない心を変えようと必死になって努力するのも人。嫌いな自分を変えたいと懸命に努力する人を笑うつもりはないが変わるものは放っておいても変わるし変わらないものを変えるのはきっと努力じゃない。
そこは悟れと誰かが言うが言うは易し行うは難し。
思うままには生きられないのだとさみしく笑ってみたとて何も変わらないかもしれないし、すでに何かが変わり始めているのかもしれない夕暮れ。
そんなことを無責任に垂れ流している僕は僕で心のままに刹那的に生きようとして恒久的な葛藤と変わりたくはないものを大切に隠し持ちながら生きていく。
僕が唱える「さみしいさみしいさみしい」「好きだ好きだ好きだ」「逢いたい逢いたい逢いたい」という念仏合唱がごときつぶやきも誰かの心を繋ぎ止めようとする勝ち目のない闘いへの病的で絶望的な呪文なのかもしれない。
うつろいやすき心の中でこれだけはつなぎとめておきたいんだと叫びながらそれでもなお変わりゆく自分に抗い続ける。
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