目の前に差し出された冷たい水を飲んで初めて「ああ僕はこんなにのどが渇いていたのか」と気づかされるように。
ベロベロに酔っ払って飛んでいく記憶の片隅で「今日はこんなにも酔ってあのことを忘れたかったんだな」とようやく思い至るように。
あるいは友人がなにげなく放った言葉が喉に刺さった小骨のように心に留まりじくじくとしてきて後から「あの言葉が嫌いで許せなかったんだな」と思い返すように。
日々過ぎ去っていく時間の中で自分の気持ちに気づいていないことって意外とあったりする。
後からでも気づいた気持ちはもしそうすることが必要であればすくい上げて自分でケアをすることができるかもしれない。
そのまま気づくこともなくそれでも確かに存在したはずの気持ちの残骸みたいなものが静かに心の底に降り積もったあとはいったいどうなるんだろうか。
そんな気持ちに気づいたことによって分岐して広がっていくパラレルワールドとか想像したらちょっと楽しい。
自分ですら気づいていない誰にも見つかることなくどこにも姿をあらわすことなく沈み澱んで行った気持ちあるいは感情の欠片はどこにあるのだろう。
そんなものは最初から存在していなかったのだと言い切れば簡単なのだろうか。
だって誰も僕の心の中を見ることはできないのだし同じように僕も他人の心の中を知ることはできないのだから。
それでもというかだからこそか。
僕はできるだけ自分の中に生まれたそんな感情や気持ちの小さな欠片を意識してその姿を探り当てたいと思っているんだ。
だって自分で気づいてやらなかったら誰が気づけるというのだろう(いや誰も気づかない)。
自分で気づいてやらなきゃ僕の中の僕がかわいそうだ。
そうすることで掘り当てたくない気持ちに気づいてしまうのが怖くもあるのだけどまあそれは仕方ないか。
だからもしかしてもしかしてだけど本当はもう誰かをめちゃくちゃ大好きなのにそんな自分の気持ちに気づいてなくてある日「あああああずっと好きだったんだ!」ってな具合に突然気づいて新しい夏が始まるなんてことが1回くらいあってもいいんじゃないかと思うのだけどどうなんだろう神様。