[ま]ラインを越えて @kun_maa
幼い子どもの頃よく迷子になった。
なにか気になるものがあると勝手にうろうろして親の視界から消えていたようだ。
よく言えば好奇心旺盛。
その頃の記憶は僕にはないのだけど。
幼稚園から小学校低学年の頃はわざと迷子になるのが好きだった。
自転車で自分の行動範囲から離れた場所まで行った後にめちゃくちゃに移動してわざと道に迷うのだ。
迷子遊び。
これがとても楽しい。
知らない場所にいるという非日常性だったり見知らぬ大人に声をかけて道を尋ねるというちょっと背伸びをした行動だったりが組み合わさってわくわくとした高揚感に包まれる。
その遊びの最中にいつも感じていたのがラインを越えるという感覚だった。
もちろん当時はラインなんて英単語を知らなかったのでなにか自分の世界との境界を跨ぐような感覚を漠然と感じていたにすぎないのだけど。
自分の既知のテリトリーから見知らぬ場所に飛び出す時の開放感や不安とともに一線を越えたというか気持ちの境界を越えたんだという感覚が自然に生まれた。
遊びを重ねるたびに広がる自分の世界の範囲に合わせてラインは確実に伸びそしてそれを越える楽しみも増えていった。
その後山登りにハマったときも海外旅行に頻繁に行っていた頃も様々な場面で僕はこのラインを越えるという感覚を感じていた。
逆に言うとそういう感覚を味わえないものにあまり魅力を感じなかったのだと思う。
勉強やスポーツや仕事、日々の生活で魅力を感じて新しいものに取り組むときにはラインを越えるという感覚が欠かせなかった。
歳を経るごとに結婚や子育てや浮気や家出や同棲や破局や恋愛やいろんな場面でその都度ラインを超えてきたはずなのに。
それがいつからだろう。
ラインを越えるという感覚が消えてしまったのは。
年齢を重ねたことで全ては既知の範囲内になってしまったのだというほどの傲慢さは残念ながら持ち合わせていないけれど。
あの感覚を味わうことなんて無くなってしまった。
ラインを越えているのにそれを感じる感受性を失ったのかもしれない。
冒険心に欠け一定の集団からはみ出さないように目立たないように事なかれ主義で生きていると言ったら大げさだろうか。
目の前の小さな楽しみに溺れてわくわくするような高揚感を忘れて僕はどこへ向かっているのか。
もしかして枯れてきたのか。
そんなことを考えて不安に悶々とするくらいならあのラインを越える感覚を取り戻すような行動を起こすべきなんじゃないかと思うんだ時々はさ。