私たちは平素、今よりももっと良い感じの人間になりたがっているものです。「もっとデキる人になりたい」「もっと明るくなりたい」「成功者になりたい」「誰々から好かれる人になりたい」「多くの人から評価される人になりたい」などなど・・・(「まえがき」から引用)
こういう感情はきっと誰でも持っていて、その「◯◯◯になりたい」っていう欲求が僕たちのやる気を生んだり、前進するためのエネルギーになったりすると思うんだけど、仏教ではこの気持ちこそが生きる上での苦しみの原因とされている。
それはなぜなのか。本書によれば簡単に言うと次のようなことらしい。
「もっと◯△×な自分になりたい」と願うことは、現在の、ありのままの自分を承認できず、現在の自分を嫌がるのと同じ心理作用をもたらします。ありのままの私たちは、けっこう弱いし、ズルいし、情けなかったりするものです。そうした心の中にある情けない部分を必死に否定しながら、「もっと良い感じでいたいッ」とばかりに、背伸びしようとしてしまっている、ということ。(中略)無理な背伸びのせいで肩には力が入りっぱなしになり、いつも緊張していて、ホッとひと息つく、安息の時が得られなくなるのです。そして、何よりも重要なことには、いつまでも自分に対し、「もっと良くなりなさい」「ちゃんとしなさい」と命じ続けるせいで、自分が根っこのところで自分の弱い部分を承認できないままになってしまうのです。
こうして、根っこのところでの自己承認感覚が脆弱であればあるほど、他者から承認されることでそれを補いたくもなるのでありまして、他人の視線や言葉を気にしすぎることにもなり、他人の評価に一喜一憂して、心穏やかでいられなくなります。
たしかに自分の弱いところを自分が認めてあげられないようだと精神的にきつい。
いつもいつも今以上の何ものかになろうとし続ける生き方は正直しんどい。
なんで今の自分じゃダメなの?そんなに自分の人生を変えたいの?より良い自分ってなんなのさって僕はいつも思っている。
こんなことを書くと向上心の欠片もないダメな奴と思われるかもしれないけど。まあそのとおりだからしょうがない。
ありのままの自分をそのまま認めてやって背伸びをしない生き方を選んだとしても、日々刻々と人生は移ろい変わっていく。
今の自分は今ここにしか存在せず、そのことを考えている自分はさっきの自分とはもはや違う人間だ。
ましてや昨日と今日の自分なんて別人だとすら言えるかもしれない。
わざわざ背伸びをして無理してまで変わろうとしなくとも放っといたって何も変わらない人間なんていないだろう。だからこそ未来の自分を保証することができないし確信ももてない。でも、それが自然な姿じゃないのかな。
僕が特に気になるのが「何らかの形で自己実現をしなくては生きている価値がない」とか、「社会の中で自分の価値を作り上げなくてはならない」とかっていう考え方。
そのためにより良い自分を目指して目標を立て、高みを目指さないといけないって考え方に捕らわれることが果たして本当に幸せなのかなってよく考える。
その裏にはまるでそうしない人間には価値がない、何もしない人生は価値がないとでも言わんばかりの風潮が気になって仕方ない。人生って意味がないとダメなんだろうか。
そんなことにこだわるせいで、結局は他人からの承認欲求にまみれて苦しむように思えてならない。今より上を目指さない人生ってそんなにダメなんですか?
とにかく頑張れば願いは叶う、思い通りになる。今よりももっとすばらしい自分にならなければならないっていうことが絶対に正しいことのような空気の社会ってなんだかやっぱり息苦しい。
僕たちは自分の心ですら思いどおりにならないというのに全てのことが努力と才能とコツで思いどおりになると思い込んでいないだろうか。思い込まされてはいないだろうか。そしてその思い込みと現実の狭間で苦しみは絶え間なく生まれる。そんなふうに思えてならない。
確かなものなどなにもない諸行無常の世の中で、明日の自分すらどんなことを考えて、どんなふうに生きたいと思っているかわかりもしない。
正しいことなんか誰にもわからないからこそ、他人からの承認にすがるのではなく、かといって独善的に己が正しいと思い込むのでもなく、その時々の自己の心持ちや状態や感情をありのままに見つめて中立的に受けとめる。そんなことが僅かずつでもできるようになっていけば苦しみも少しは減るような気がする。
本書では次のように述べている。
自分の心は、生きている限り、ありとあらゆる機会ごとに苦しくなるという厳然たる事実を、「仕方ないね、つらいだろうね」という憐れみをもって、中立的に受けとめる。(中略)他人に対してのみならず、自分に対してすら「こうなれ」「ああなれ」と肩に力を入れて口出しするのは逆効果なんだなという、無常・苦・無我の「諦め」を保って、ただ中立的に見つめる念(きづき)に徹する。それが仏道の核心です。
執着や思い込みを捨て、この世のすべてをあるがままに受けとめること。言うは易し、行うは難しの典型のようなものだ。だからこそ仏教には修行が必要なのだろう。
それでも生きていく苦しみの元凶に気づき、自分をあるがままに見つめるためのきっかけになる一冊なんじゃないかな。
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