朝から連続して短めのルートを2本こなした。
3本目のルートは途中のオーバーハングに苦戦するも何とか乗り越え中間地点の岩棚で身体をフィックスしてタバコに火をつける。
下から別のパーティがこないのを確かめてから岩棚に腰を下ろして遠くの稜線を見つめる。稜線を雲が覆いそれがゆっくりと広がりながら横断していく。まるで水が流れるようななめらかさで流れる雲は別世界の生き物のようだ。
眼下では小さな人影がぞろぞろと山道を登ってくるのが見える。
ベースキャンプは今夜もにぎやかになりそうだ。
静かな岩壁の真ん中で切れ落ちた下界に向かって足をぶらぶらさせながら物思いに耽る。岩壁を登りながら途中の岩棚で一服しながらボーッとするのが僕は好きだった。
これから登るルートのことはもちろん、恋人のことや友人関係や就職や将来のことから下山したらやりたいことや行きたい場所のことなどいろいろ。
放っておくといつまでもとりとめのない夢想に耽っていた。
今でこそネガティブな性格丸出しだけどあの頃はあまり悲観的ではなかったんだ。むしろ楽観的過ぎたかも。根拠なき楽観主義者の末路。
きっと明るい未来が自分には待っていると思っていたし、結婚はまだ考えていなかったけど当時の恋人と別れるとは思ってもいなかった。
もしかしたら世界の岩場に飛び出していけるかもなんて割と本気で思っていたし、どんな仕事をするにしても40〜50代では知性のある渋い大人の男になってつらい困難にも立ち向かっていける勇気と信念を持っているものだと思っていた。
そう、希望や夢をたくさん抱えた僕は岩壁から眺める山のあなたの空遠くには幸せがいっぱいあると思っていたんだあの頃は。
あれから30年が過ぎた。僕はずいぶん前から山に登ることもなくなった。
当時の岩登りや先輩との思い出あるタバコも3年前にやめてしまった。
仕事とか結婚とか恋とか生活とか...当たり前だけどいろいろ思い通りにはならないことは多くて凹んだり泣いたり喚いたり後悔したり心折れたり。
それでも楽しいことや幸せに感じることもそれなりにあって、とても不幸な人生だとまでは言わないけれどずば抜けて幸せというわけでもない。
知性のある渋い大人の男には程遠くまだまだ小便臭い甘ったれで決断力もなくすぐにさみしくなってメソメソするようないつまでたってもダメな出来損ない。
人に優しくなりたいと思いながらエゴの呪縛から抜け出すことのできない半端者。
無邪気に他人を傷つけ続けて相手を傷つけたことにすら気がつかなくて。無邪気といえば聞こえはいいけど他人の気持ちを考えられない自分本位の愚か者。
年齢相応に見えない、年齢の重みを感じさせないってのは褒め言葉ではなく失望と諦念の言葉だ。
過去に戻ってもう一度自分の人生をやり直したいって思うこともあるけれど、後悔したことを全てやり直したとしてその結果としての人生って果たして本当に僕の人生と言えるのだろうか。ゲームのチートじゃあるまいし。
だから僕は今まで生きてきたこの人生を自分で肯定した上でそれでもまだ見ぬ「山のあなた」に向かって歩いていこうとしているんだ。
......なんか珍しく前向きだな。もしかして死亡フラグ立った?
山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ
噫、われひとと尋めゆきて 涙さしぐみかえりきぬ
山のあなたになほ遠く 「幸」住むとひとのいふ
カール・ブッセ(上田敏 訳)
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