ひとりで虚ろにニヤニヤしている人が前から歩いてきた。
最近同じような笑みを浮かべている人とよくすれ違うような気がする。
決して僕のことを笑っているのではないことはわかっている。だってこちらを見てもいないのだから。
もし僕のことを笑っているのなら、それはそれで腹立つけど怖さはない。
いったい何がそんなに可笑しいのか。彼らの視線の先をたどってもそこには何もない。思い出し笑いにしてはやけに長いし、何かを思い出して不意に笑ってしまったという類の笑みではない。とにかくその笑みの行き先がさっぱりわからない。
怒っているより笑っている方がいいじゃないかと思うかもしれないが、対象のない笑みは対象のない怒りと同じくらい僕にとっては怖いものなのだ。
笑みというのは自身の感情であると同時に、顔に表情として表出した時にはコミュニケーションの手段となる。
コミュニケーションの手段である以上それは通常の場合外部に向けたものであり、例えば店員が不特定多数に向けて笑みを浮かべたり、赤ちゃんが何もないと思われるところを向いて笑ったりするのも対象が特定されないとか不思議な存在に対しての笑みであるという点はあるけれども、その特定されない対象はあくまでも外部にある。そういう意味でまさしくそれはコミュニケーションの手段なのだ。
ところが最近出会う彼らの笑みはどこまでも内向き。外部に対象なきコミュニケーションの表出。
それはまるで独り言をぶつぶつと呟いて自分とばかり会話をしている人に対して本能的に感じる恐怖感と同じ種類の狂気。
そんな狂気とすれ違うたびに僕はとても不安になるし、底知れない不気味さを感じてしまうのだ。
いったい何で笑っているんだよ......
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。