僕は茂みの中を探し回ってやっと見つけた少し大きめの石で何回も自転車の錠を殴りつけた。この公園は手入れが行き届き過ぎていて手頃な石を見つけるのも難しい。
ぼんやりとした月の光をあてにしながらかなりの回数の打撃をその小さな錠に叩き込んだ。酔っているくせに自分の指を潰さないように気をつけながら殴り続けたのを覚えている。
自転車を押さえている友人が「おい...まだかよ?」と聞いてくる言葉を無視してさらに錠を殴った。この錠がガンジーだったとしても怒りに駆られて全力で殴り返してくるんじゃないかというくらいには殴ったんだ。
それでも錠は壊れなかった。
ただ錠を固定しているリングが緩んだおかげでタイヤに引っかからない方向に回転させることができたのさ。
時間はすでに午前0時を回っている。
まだ秋とはいえ、さすがにこの時間になると寒さを感じる。
さっきまでの酔いもかなり冷めてきている。だからといって初めての自転車泥棒とその自転車でとにかく遠くへ突っ走ることを考えた時の高揚感を幾らかでも減じるものではなかった。
よし、動くぞ。
人気のない公園の細い小道を蛇行しながら試しに行ったり来たりして自転車がまともに動くことを確認した後、友人を後ろに乗せて僕は力一杯ペダルを踏み込んだ。
「行っくぜー!」「うひゃー!∅∀₭☆♂♉︎ゞ◎△☞」。二人で奇声をあげながら公園内の小道を盗んだ自転車で走り抜けた。
酔いがいい具合に再び回ってきて、細い道いっぱいに蛇行しながら進む自転車は時々茂みや木に突っ込みそうになりながらも僕らはちょっとした万能感に包まれていた。
このままどこへでもこの自転車で行けそうな気がしていた。
ちょうどスピードも気分ものってきたところで、一段と大きな奇声をあげながら自転車は広場へと突っ込んでいった。
一瞬何が起こったのかわからなかった。目の前が真っ白になった。
広場が強烈な光で数か所から照らされていた。しかもその光源は僕らの自転車を追って動いている。
少し割れ気味の音で「そこの自転車!すぐに止まりなさい!」という声が遠くのスピーカーから聞こえた。
光と音の反対方向へハンドルを切って全速力で逃げようとした。そして逃げたんだ。
光も声もさらに激しく僕らを追い立てるなかを。
「止まりなさい!」と繰り返し叫ぶ大きなスピーカの声と周囲からバラバラと走り寄る重たく素早い無数の足音。
四方から響く肉声の怒声は確実に僕らに向けられていた。
焦る僕の足はペダルを踏み損ない簡単に前のめりにひっくり返った。自転車から放り出されて無様に転がる僕ら。
こうして万能感とどこへでも行けるような気がした自転車泥棒の逃避行はあっという間に終わった。
両脇を抱えられ、窓枠に金網の張られたバスに連行される。後方から「この自転車警察のじゃねーか!」という呆れたような声が聞こえた。人生終わったーって思ったよ。
僕らが連れ込まれたのは機動隊のバス車両。
その場で別々に事情聴取をされ、その後これでもかってくらい叱られた。相手は決して暴力は振るわなかったけど、目が笑っていない警察官に睨まれながらコンコンと説教されるのは二度とごめんだと思った。
目が笑っていないので嘘か本当かわからなかったけれど「あのまま逃げていたら発砲していた」と言われた。もちろん嘘だよね。
手錠もかけられた。初めての手錠。そんなものかけなくたって逃げる気力も反抗心も持ち合わせていないというのに。
このまま警察署に連行されるんだろうか...臭い飯...裁判...黙秘権。そんなことをつらつらと考え始めた頃、唐突に「今回はこれで勘弁してやる。今度やったら本当に逮捕するぞ」という強面の機動隊員の台詞とともに僕らは機動隊車両から釈放された。
盗んだ自転車は公園内に置いてあった警察の自転車だった。そのことも彼らの不評をかったようだったが、石で錠を壊しかけたことは今のところバレずに済んだみたいだ。
釈放された僕らは警察車両が見えなくなるところまでゆっくりと歩き、そのあとは全力で走って公園から逃げたんだ。
石で錠を殴った痕が見つかったらまた捕まると思ったから。
公園から離れてもう大丈夫だろうと息を切らせながら後ろを振り返ると、薄月に照らされた大きな玉ねぎが鈍く光っていた。
盗んだ自転車で行き先もわからないまま走り出すことすらできなかった20歳の秋が終わろうとしていた。

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