ゆったりと流れる川のほとりをのんびりと散歩していた。
香港人の男女5人と僕とネパール人ガイド2人。
ここはネパールにあるチトワン国立公園内のラプティ川の川辺。
あたりには大麻草が青々と茂る。
その生き生きとして生命力にあふれる姿からはイリーガルな香りはもちろんしない。
先ほどまでじりじりと照りつけた太陽が西に傾き川面を渡る心地よい風が草いきれの名残を僕らに運びながらやさしく通り過ぎていく。
傾いた太陽が次第に赤みを帯びてあたりを染めながら大きくなる。
さっきまでぺちゃくちゃとしゃべっていた香港人たちも静かになって夕焼けの中を歩く。
夕暮れのなんとなく寂しくて人恋しいような虚ろな気分というのはもしかしてここにいるみんなに共通の心持ちなのだろうかとか考えたりして。
ネパール人ガイドがみんなで Sunset Song を歌わないかと提案する。
僕らは順番にそれぞれの国の夕暮れソングを歌うことにした。
言い出しっぺのネパール人が最初にふたりでネパール語の歌をゆっくりと歌う。
意味はわからないけどしんみりとした情緒を纏うその歌声は夕焼けのもの哀しい雰囲気を盛り上げた。哀しい雰囲気を盛り上げるというのも変か。
続いて僕が大きな声を張り上げて「夕や〜けこやけ〜の赤とんぼ〜♪」
「負われ〜て見たの〜わ〜いつの〜日〜かあ〜♪」と歌った。
勢いのまま2番に突入したのだけど勘違いしていた僕は3番の歌詞を少しトーンを落として「十五〜で姐ぇや〜わ〜嫁に行〜き〜♪」「お里〜のた〜よ〜り〜も絶えは〜て〜た〜♪」と気持ちよく歌って自爆。だがしかし日本人は僕だけだから誰も知らない。
さらにそのあとは歌詞が分からずハミングでごまかすという勝手に日本代表として恥ずかしい体たらく。
歌い終わった僕はネパール人から現地の噛みタバコを分けてもらって口に含んだ。
人生初の噛みタバコで嗜み方も知らないくせに大声で歌った後の変な高揚感に包まれていた僕はやり方を教えてもらいながら彼のマネをしていい気になっていたんだ。
香港人たちが歌う少し陽気な感じの歌を聴きながら僕は噛みタバコの美味しさがさっぱりわからず口の中で持て余し気味になりながらも歯茎から有害物質を吸収し続ける。
突然目の前がぐらぐらと揺れたような気がして僕は立ち止まった。
揺れているのは目の前の世界ではなくて僕の頭の中だった。
急激なめまいとこみ上げる吐き気。
何か話すのもしんどいような気分の悪さをこらえながらなんとかガイドに声をかけてその場にしゃがみ込む。
むちゃくちゃ具合が悪いときに英語で自分の状態を説明することの難しさと伝わらないもどかしさ。
動けなくなってしまった僕にガイドは噛みタバコを吐き出して水を飲めと言った。
そいうときに限って水を持ち歩いていないという間の悪さに自分で苦笑い...タイミング〜
冷たい汗が額を流れ落ちる。
僕を取り囲んでどうしたどうしたと覗き込んでいた香港人女性のひとりが僕にペットボトルの水を差し出した。ああ天使よ...
もうフラフラで余裕はないしそのボトルが飲みかけだったこともあって僕はいつもの癖でそのまま直接ペットボトルに口をつけて水を飲んだ。
一瞬微妙な空気が流れたような気がした。
水を飲んで休んで落ち着いた僕は Thank you ! と言って彼女に飲みかけのペットボトルを返そうとした。
困ったような顔をした彼女は「それあげるから...」と言って受け取りを拒否した。
え?なんで?と僕がきょとんとしていると仲良くなったネパール人ガイドが「お前が直接口をつけて水を飲んだから嫌がられているんだよ」と耳元で囁いてニヤリと笑った。
えー!そんなことで?と思ったけどここはネパールで僕は得体の知れない外国人で衛生面に気をつけるのは当然だよなと思ったもののそんなに不衛生に見えるのかと傷ついたのも今ではいい思い出。
その後も一人旅の僕は訪れるネパールの町々でこの時の香港人たちと顔を合わせ一緒にバスで移動したりトランプで大貧民をしたり食事をしたり、帰路で立ち寄る香港の安宿を紹介してもらったりと仲良くしてくれたので嫌われているわけではなかったはずと思いたい。
そして今さら気づいたのだけど僕があのとき歌ったのは夕焼けの歌ではなくて赤とんぼ。