その日は朝から牛の気分だった。
まるで口をもぐもぐと動かしながら反芻し胸が張り乳が搾り出て額の上の方に2カ所小さな角のような突起ができてしまい「もー!」とか言ってそうな感じ。
え?なにそれどんな感じってよくわからないし書いていてコレジャナイ感がハンパない。
そうじゃなくて単純に美味しい牛肉が食べたかったんだ。
それを牛の気分と呼んでいるだけ。
そう呼んでいるのは自分だけだから誰にも通じない表現は言語としての体を為すのかという根本的な問題に接して僕はあらためて(ry
そうじゃないんだ書きたいことは。
さて気を取り直して。
その日は朝から美味しい牛肉とビールの気分だったのだ。
たくさんの動く頭を見下ろしながらゆっくり降りる西川口駅東口階段の情景が目に浮かんだ。
扉を開けてすぐに見える長いカウンター席でくつろぐ見知った笑顔が脳内再生された。
待ちわびた夕暮れ。
「にーく!にーく!にーく!」とエンドレスで歓喜の声を響かせる自身の声が頭から漏れ出して周囲に聞こえないようイヤフォンでしっかりと耳の穴を塞ぎ大音量でロックを流しながら目的の店へと歩く冬にしてはやや暖かめの夜。
イヤフォンを耳から引き抜き肉に塗れたい気持ちを微塵も感じさせぬよう冷静を装いながら扉を開ける。
久しぶりに鉢合わせたビール仲間の驚く声と見慣れた店主の顔。
「今日は何軒目?」と尋ねる店主に「今日はここに飲みに来たんだよ」と答えると、「さっき〇〇(僕)のことをなぜか思い出したんだ」と。
相思相愛かよ。
カウンターに座りビールを注文し雑談に興じながらも頭の中で鳴り響く肉鐘の音「ディンドーン」。
いつか食べよういつか食べようと思いながら僕はここで和牛を注文したことがなかったことを不意に思い出す。
初体験につきものの恥ずかしさや戸惑いとで僕は肉を注文するタイミングを逸していた。
頭の中で肉賛歌がリフレインしていることを悟られないようにメニューを確認する。
いつもより肉メニューが少なめだった。
なにを注文しようか迷い散々タイミングを見計らって悶々としながら店主に囁く「美味しい肉が食べたい」と。
その日のメニューには載っていないけど美味しい肉があった。
それは先日いっしょに渋谷で飲み歩いた友だちが予約したものだった。
都合でキャンセルになったので一枚だけ用意できるらしい。なんという偶然。
きみの名は…と問いかける僕に「シャトーブリアン」と。
そうか僕は今日ここでこのシャトーブリアンを食べるために運命に導かれてきたのか←
それはまったくもって大げさだけど朝から無性に「今日は肉を食いたし!」となっていたのはきっとそうに違いないとちょっとした運命を感じずにはいられなかった。
金銭的な面での折り合いは後からつければいいだろうとすぐさま注文。
店主が腕によりをかけて焼き上げてくれた。
どうよ。
どうよこの絶妙な焼き加減。
鮮烈でいてとても優しげな赤身の存在感。
肉が口の中でとろけるなんて信じたことなかったのにさ。
厚切りにして口の中に放り込んでも本当にスーッと消えていくんだよ旨味だけを残して。
食べたことのない美味しさだった。
こんなときにもっと美味しさを表現できる語彙がほしいと切実に思った。
美味しさに包まれて周囲の声や音なんて聞こえなくなるくらい肉に意識を持っていかれて気づくとちょっと泣きそうになってた。
明日西川口からこの店の灯りが消える。
そうなんだ。僕はいつだって失ってからバカみたいにさ。
あの場所で同じようにシャトーブリアンを食べることはもうできなくなる。
次にあの部位を食べるとき、きっと僕はあの日のあの味を思い出す。
そんな僕のシャトーブリアン。

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