朝の通勤時間帯の混み合うJRの駅。
大勢の人間が忙しなく行き交っている中で僕は突然声をかけられた。
「京浜東北線に乗るにはどこに行けばいいですか?」
振り返るとひとりのお婆さんが僕をじっと見つめながら、もう一度同じ言葉を繰り返した。
最初に思ったのは「なんでこんなにたくさん人がいるのに、よりによって僕に声をかけるんだよ...」ってこと。
そう、僕も仕事に行くために急いでいたんだ。
たぶん不愉快な気持ちが思いきり顔に出ていたと思う。
それでもお婆さんは僕を見つめてもう一度繰り返す。
「京浜東北線に乗るにはどこに行けばいいですか?」
「そこのエスカレーターで下に降りて左に改札がありますから!」そう早口で言いながら僕は足早にその場を去ろうとした。しかしお婆さんは僕の言ったことを理解していないようだった。きっと嫌がらせのように早口でぞんざいな言い方だったから。
「エレベーターで上に行くんですか?」背後から僕に向かってそう問いかけるお婆さんの声が聞こえた。
そうだった。エスカレーターの隣にはエレベーターがあったんだ。よく聞き取れなければ勘違いしてしまう。
そのまま聞こえなかったふりをして行ってしまおうかと思った。
しかし僕は迷惑そうな顔で振り返り、「違う違う、そこのエスカレーター!下に降りて左に改札があるから!」とお婆さんに邪険な言葉を投げつける。
「切符はどこで買えますか?」
「(ちっ!)改札の横!」
そんな横柄な態度の僕に対してお婆さんは、深々と頭を下げて「ありがとう」と言ってエスカレーターで降りて行った。
お婆さんの丁寧で優しげな「ありがとう」という言葉を聞き、深々と頭を下げる姿を見たとき僕はハッとした。
なんで自分はこんなにも不機嫌にお婆さんに接してしまったのだろうと。
たしかに僕は急いではいたけれど、電車の乗り場を教えるくらいで遅刻するような切羽詰まった状況でもなかったのに。
もし仮に遅刻しそうだったとしても、ちゃんと丁寧に教えてあげて遅刻すればいいじゃないか。遅刻したところで死ぬわけでもあるまいし。
人に優しくありたい。僕は今までそう思っていた。
でもそんなものはほんの少しの慌ただしさという言い訳の前に偽善の仮面をかぶる余裕すらないちっぽけなものでしかなかった。偽善の先っちょにも引っかからない優しくありたいという醜悪な嘘。
僕のお婆さんに対する態度がすべてを物語っていた。
自分に余裕がある時に他人に優しくできるのは簡単なことだ。
余裕がない時にこそ本性が現れる。
改札の場所がわからず切符売り場にも行けないお婆さんに対して、あからさまに迷惑そうに接したこの時の自分の姿が本当の自分。
実に情けない姿だった。何が人に優しくありたいだ。人間性が薄すぎて反吐がでる。
駅の雑踏の中、慌ててお婆さんの姿を探した。でもその姿はもう僕の視界から消えていた。あのお婆さんはちゃんと切符を買って京浜東北線に乗れたのだろうか。
あんな不愉快極まりない態度をとった僕に対して頭を下げて丁寧にお礼を言ってくれたお婆さん。
あのお婆さんのような心根からにじみ出る優しさを僕も身につけたいと思った。
どんなときでも。誰に対しても。人に優しくありたい。
どんな時でもブレない強さを伴った優しさを身につけたい。
そんな気持ちを思い出させてくれた朝のひとコマ。恩送り。
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