[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]バクシーシという最強の呪文/貧乏人の当然の権利 @kun_maa

「バクシーシ」という言葉をご存知でしょうか?

「施し」とか「喜捨」とか、まあストレートに言うと「金くれ!」「お恵みを!」といったところでしょう。
僕はずっとヒンディー語だと思っていたのですが、エジプトでも頻繁に使われるそうなのでイスラム圏から生まれた言葉なのかもしれません。教えてエロい人。
 
話を戻して、昔僕が訪れたインドではこの言葉を聞かない日はありませんでした。
街を歩けば「バクシーシ」、飯を食いにいけば「バクシーシ」、鉄道に乗ろうとすれば「バクシーシ」......どこへ行っても「バクシーシ」。
 
それだけ街中至る所に物乞いがいるということでもあります。今はどうなんだろうか。

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ある者は乳飲み子を抱え、ある者は象皮病で膨れ上がった身体をこれ見よがしに僕の目の前に見せつけながら、ある者はライ病で失われたと思われる指の無い手で僕の肩を叩きながら。
唱える言葉はみんな「バクシーシ」。
 
ある駅で鉄道を待っていた時は、両脚が失われ手作りの台車に乗りながら、どこまでも追いかけてくる物乞いに恐怖を感じながら逃げ惑ったこともあります。
 
彼らは「バクシーシ」と言うときになんの引け目も感じていないかのように、こちらの目をじっと見て、胸を張って要求してきます。「金よこせ」と。
僕が断ると「なぜだ?」と問い返してきます。
 
日本人の感覚だと「右や左の旦那様、哀れな乞食にお恵みを...」というセリフ回しにあるように、こういう場合はあくまでもこちらの慈悲を乞うているのであって、偉そうに「金よこせ」「なぜお前は金をよこさないのだ?」と言われるのは感覚的に非常に違和感があります。
 
僕も初めは彼らが怖くて仕方ありませんでした。
なぜ彼らにお金を渡さないのか、その理由が自分でもよくわからなかったからです。
 
僕はもちろんその当時から裕福ではなかったし、安宿に泊まって現地の人が通う食堂で毎日カレーを食べて節約しながら旅を続けていたけれど、彼らから見れば飛行機に乗って遠くの国から来ている人間というだけで、十分裕福だと思われてもしかたないと感じました。それくらい貧しい人たちを多く見かけたから。
 
彼らにとって金を持っている人間から金を受け取ることは当然の権利。
インドのように貧富の差が極端な国なのに、国による制度としての所得再配分という仕組みはほとんどなかったのでしょう(不勉強のため現在はどうか知りません)。
持っているものが持たざるものに対して施しをするのは当然の義務であり、受け取る方としては当然の権利なのです。ある意味それで成り立っている。
 
でも僕はインドに滞在中、彼らにお金を渡したことは一度もありませんでした。
あまりにもしつこく付きまとわれて意固地になっていたこともありますが、ひとりに渡してしまうと他の大勢に渡さないわけにはいかなくなってしまうのが怖かったからです。
 
彼らに囲まれて「なぜあいつには金を渡して、俺たちにはよこさないのだ」と詰め寄られるのが怖かった。
 
だからどこへいってもいつも逃げてばかりでした。
目の前に立ちはだかられようと、袖を引っ張られようと、ずっと後ろからついてこられようといつも逃げていました。
 
 
先ほど僕はインドに滞在中、彼らにお金を渡したことは一度もありませんと書きましたが正確には1人だけお金を渡したことがあります。
 
彼は毎日、道端の同じ場所に転がっていました。そう転がっているのです。
彼には両腕も両脚もありません。道に放置されて身動きが取れない彼の横にはお金を入れるための缶が置いてあるだけです。
彼は「バクシーシ」とも言いません。
どこを見つめているのかわからない空虚な顔で毎日そこに転がっているのです。
 
手足のない彼は当然自分では動くことができないはずです。日中もずっと転がったままでしたから。
でも早朝から日が暮れるまで、毎日同じ場所に置物のように転がっている彼は夜には見当たりません。
 
街で出会った旅慣れた人に聞くと、早朝に誰かが運んできて日が沈む頃誰かが持ち帰るそうです。
そして彼のような物乞いはもともと手足がないわけではなく、物乞いの元締めのような組織があって、その組織によって手足を切断され物乞いの道具として利用されているのだということでした。
 
その話が事実かどうかはわかりませんが、両手両足を無理やり切られて、毎日道に転がるだけの人生。そしてそれが当たり前のことになっている人生。考えただけで気が重くなります。
 
彼は、僕が毎日火葬場を見にいくために通る路地の入口に転がっていたので、僕は横を通るたびに缶に小額のコインを入れていきました。
それが物乞い組織の収入にしかならないとしても。そして僕の自己満足にしか過ぎないこともわかっていたけれど。
 
その当時、国内だけで普通に生活していた時は気がつかなかったけど、インドに来てみて日本って幸せな国なんだなあと思い知りました。
日本では様々な制度上・運用上の問題点はあるにしても所得の再配分の仕組みがある程度存在しており、物乞いが街にあふれることもなく、両手両脚を根元から失い道ばたに転がされていた彼のような人間を目にすることもなかったのですから。 
物乞う仏陀 (文春文庫)

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