チベットに憧れていました。
澄みきって乾燥した抜けるような青空とヒマラヤを背景にそびえ立つラサのポタラ宮。
いつかあの場所に立ってみたいとずっと思っていました。
かつてチベットはひとつの独立国家でした。ご存知のとおり現在チベットという国は世界地図のどこを探してもありません。
1950年代にはじまった中国によるチベット弾圧と強引な併合。
1959年のチベット動乱とダライ・ラマ14世のインドへの亡命。その後も引続くチベット文化の破壊と漢民族による支配。
僕はチベットに憧れていたくせにただ行ってみたいと思うだけでチベット問題について知ろうともせず、したがって詳しいわけでもありません。
もちろん国を失うという感覚も実感できません。
でも、今でもチベット人の抗議行動やダライ・ラマ14世の動静が報道される度に思い出す出来事があります。
それはもう25年ほど前の香港からネパールのカトマンズへ向かう飛行機でのこと。
「チベットが恋しいですか?」僕はその老人に向かって問いかけた。
彼は少し遠くを見つめるような仕草の後、「ああ、チベットが懐かしいね。でも今はまだ帰りたいとは思わない。だって、今のチベットは中国人の国になってしまったから。生活のスタイルも考え方も中国式を強制されてチベットとは言えないよ…」
何も知らなかった僕は「それでも住んでいるのはチベット人ですよね?みんな中国に抵抗しないんですか?」と質問してみた。
彼は寂しそうな表情でこう答えた。
「かつてチベット人は抵抗したさ。でもチベットは占領されたんだ。わたしは家族と一緒にチベットからネパールに逃げて、アメリカに渡ったんだ。今じゃアメリカ人さ」
当時10代だったという彼は、アメリカのパスポートを見せながら僕の方を見た。
彼の顔には深い皺が刻まれ、見たところ65歳くらいの老人に見えるが、チベット動乱のときに10代の子どもだったということは、実際には50代だったのかもしれなかった。
小綺麗な服装でやや裕福そうに見える彼のアメリカでの生活は、決して楽なものではなかったのだろう。
この会話の前までは僕にネパールの入国カードの書き方を教えてくれたり、英語で簡単なネパール語を教えてくれていた彼は黙ってしまった。
チベット問題もロクに知らず、のんきにネパールを旅しようとしている僕は彼を失望させてしまったのかもしれなかった。
沈黙に耐え切れず、彼に対して「それでもいつかチベットがチベット人の国に戻って、帰ることができるといいですね」と言った。
彼は微笑んで「チベットはチベット人のものだ。いつかは必ず昔のチベットに戻る。そのためならなんでもするさ。まだ希望を捨てたわけじゃない。インドにはダライ・ラマもいるのだから」と答えた後、「ありがとう」と付け加えた。
僕らの乗った飛行機は夜のカトマンズ空港に無事到着し、彼とは空港のイミグレーションの手前で別れた。
入国審査へと向かう彼の背中に、僕は心の中で「いつか必ず帰れますよ…」と呟いた。
何の根拠もないくせに。事態の深刻さを何も知らないくせに。
あれから25年が経ち、チベット問題はなんら解決に向けた進展もなく、数年前までは抗議のために焼身自殺をするチベット僧のニュースをいくらか目にしたものですが、最近はそれすらたまに新聞の片隅で小さく見かける程度です。
日本で報道されるチベット関連のニュースは驚くほど少なく、僕はといえばチベットへの憧れがいつしかタイでの安らぎを求める旅に変わってしまいました。
あの老人のことを思い出すたびに、結局チベットのために何も行動してこなかった自分自身に対して苦い気持ちになります。その苦い気持ちとともにいつまでも彼と交わした会話を僕は忘れることはないでしょう。
そしていつかはやはりチベット人のチベットを訪れてみたいと思うのです。
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