[ま]あなたはなにをくれるの?/ネパールの山村でのこと @kun_maa
ネパールのポカラという街から乗り合いトラックで2時間ほど山の中に入り、徒歩でさらに半日ほど歩いた山の中の安宿。
他に食事をするところもないので宿の食堂で安いネパール定食(ダルバート)を食べる僕の前に、ひとりの少女が座った。年はおそらく7〜8歳。
宿の主人の娘なのだろう。さっきまでは店の手伝いをして働いていたから。
僕が食べるのをじっと見ながら、彼女が「あなたは何人(なにじん)?」と聞いてきた。
僕は「日本人だよ」と答える。
おんぼろ安宿で他に客もなく、話し相手でも欲しいなと思っていた僕はちょっとうれしくなりながら彼女の次の質問を待った。
「このダウンジャケットはスウェーデン人の女の人にもらったの」と自分が羽織っているかなり大きめのジャケットを指差す。
「アメリカ人は靴をくれたわ。日本人はお金をくれた......あなたはなにをくれるの?」少女はそういって僕を見つめる。
またか......
その日ひとりで山道を歩いているときにも、突然大勢の子どもたちに取り囲まれて「なにかくれ!」とせがまれた。全く悪びれたところのない無垢な顔で当たり前のように何かをせしめようと迫ってくる集団に取り囲まれて、僕はなんともいえない恐怖を感じた。そう恐怖だ。悪意なき恐怖。
かなり取り乱しながら困り果てている僕を、通りすがりのネパール人の男が大声で子どもたちを叱りつけて救ってくれた。
恐らくときおり訪れる外国人観光客が安易に子どもたちにモノやカネをあげているのだろう。
モノやカネをあげる方は少しの優越感と「いいことをした気持ち」を得られ、子どもたちは現実にモノやカネを受け取れる。
考えようによっちゃ、Win-Winの関係だ。
そんなことに小さな頃から慣れてしまった子どもたちは人からものを恵んでもらうことを当たり前のように思っているのかもしれない。
翌日、山の中の小さな平地でサッカーをしている少年たちを見かけた。
狭い場所を有効に使ってサッカーを楽しんでいる姿に心がほのぼのとして、立ち止まって見ている僕のところにひとりの少年が走りよってきた。
もしかしたら仲間に入れてくれるのか......と期待したら、出てきた言葉は「僕たちにサッカーボールを買うお金をくれませんか?」。
最初彼が何を言っているのかわからなかった。拙い英単語は耳に入ってくるのだが意味を結ぶことを拒むかのようにそれらの言葉は僕の頭を素通りしていった。
結局、僕は宿の少女にもサッカー少年にも何もあげなかった。
モノやカネを恵んでもらうことに慣れてしまうことは恐ろしいことだと思う。
貧しい国の子どもたちは日本の子どもたちと比べて目の輝きが違うなんて言っている人がたまにいるけど、あんたがモノやカネを落としていくからじゃないのか?と僕は穿った見方をしてしまう。
援助のやり方はとても繊細な問題だと思う。バラまけばいいってもんじゃない。
同じお金を使うのならば彼らがまともに仕事を出来るように、そしてその仕事が一時的なものとならないように使うべきなんだ。
一時の感情で観光客がモノやカネを渡すことと国家間での援助の方法を一緒くたにすることは乱暴な話なのかもしれない。でも本当はどちらも同じようにちゃんと考えるべきなのだと思う。
あれから20年以上が過ぎた。
その後のネパールは王制を廃止して共産勢力が拡大したり、政治的な混乱や大地震があったりいろいろなことがあった。
僕はその後ネパールを訪れることはなかったので現在のあの山村の様子はわからない。
中国とインドという大国に挟まれて観光以外にこれといった外貨の獲得方法もない国のことだ。そう簡単に豊かにはなれないだろう。
今でも彼らの子どもたちはあの頃と同じように外国人にものをねだっているのだろうか。もしそうだとしたら、それはいったい誰のせいなのだろう。
結果的に彼らのためにはならないかもしれない偽善的行為は、それでもないよりはマシだといえるのだろうか。
あなたは彼ら彼女らになにをあげますか?
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