ルネ・マグリットといえばベルギーの国民的画家であり、20世紀美術の巨匠といっても差し支えないだろう。
どちらかというと「恋人たち」や「博学の樹」、「困難な航海」のようなシュルレアリスム作品が有名なので、彼のことをシュルレアリスムの画家として認識している人も多いかもしれない。
しかし、僕にとってのマグリットはシュルレアリスムに留まらず、日常的なイメージの中に潜む別次元の風景をあぶり出し、ありふれたモチーフを扱いながらもそのものが持つ内在的な意味をいたずらっ子のようにずらし、常識を裏切り、哲学的とも言える矛盾に満ちた不条理の世界を描いた特別な画家である。
そんなルネ・マグリットの初期から晩年までの約130の作品をそろえた「マグリット展」が東京・六本木にある国立新美術館で開催されている。
配布されていたリーフレットによると、日本でも1970年代以降マグリットの展覧会は何度も開かれてきたものの、今回のような本格的な回顧展は2002年以来、実に13年ぶりということだ。
僕は、この2002年のマグリット展を残念ながら見逃しており、1988年に東京国立近代美術館で開催された「マグリット展」以来、実に27年ぶりのマグリットとの再会である。
1988年の5月、まだ大学生だった僕がマグリット展を観に行ったとき僕の隣にはひとりの女性がいた。
美術的な素養が全くなかった僕はマグリットなんて画家のことは初耳だったし、どんな絵を描く人なのか知らないことはもちろん、どこの国の人で、いつの時代の人なのかも知らなかった。
それでも僕が「マグリット展」を訪れたのは、彼女がマグリットの作品を好きだったから。そして僕が彼女のことを大好きだったから。
山登りのことしか頭になくて、絵も音楽もさっぱりわからない空っぽ頭の僕に、彼女はお気に入りのマグリットの他にも「Guns N' Roses」や「Mötley Crüe」「Accept」「Van Halen」に「Aerosmith」「Bon Jovi」などのハードなロッカーたちを教えてくれた。
今でも僕の iPhone の中には彼らの曲がたくさん入っている。
彼女と過ごした3年間で、山に登ることしか知らなかった僕の世界はとても広がった。
そんな広がった世界の一部が「マグリット」だったんだ。
そこには僕が見たこともない世界が広がっていた。
彼が描く世界においては、自分の常識ではそこにあるべきものが存在せず、まったく違うものが当然のように存在する。
何度も繰り返し表現される決まったモチーフと、自分の空っぽの内面を見透かされるような青空と雲。
初めて見たマグリットの作品は僕をとても不安にさせた。
作品を夢中になって観ている彼女の横で、僕は彼女がどこかへ行ってしまいそうな気がして、彼女の手を強く握っていたのを今でも覚えている。
27年ぶりのマグリット。観ていてとても不思議な気持ちがした。
あれからもう27年が経ったなんてとても思えなかった。
あのときに観た作品が今回も展示されていて、当たり前だけどなにも変わってはいなかった。変わったのは僕の方だ。
久しぶりにふれるマグリットの作品世界に、のめり込むように魅せられていった。
ひとりで観る彼の作品には、あの頃のように不安を掻き立てられることはなかったけれど、冷静に作品そのものを楽しむことができた...はずだった。
彼女が一番好きだった作品「大家族」の前に立った時、彼女の手の温もりや髪の香り、柔らかい肩の感触や、ステキな笑顔が不意に実在感を伴ってよみがえってきた。
僕は混乱して取り乱した。
彼女が僕のすぐそばにいるような気がしてまわりを見回したけれど、そんなドラマのような偶然はあるはずもなく、僕はひとりぼっちで「大家族」の前に立ちつくしていた。
なんだかひどくさみしかった。自分がとても孤独に感じた。
よく喧嘩もしたし、ひどく傷つけあったりもしたけれど、僕は彼女のことがすごく好きだったんだ。
暗い空と海に囲まれて飛び立つ青空を内在した鳥。
今でも彼女はこの作品を好きなのかな。なぜ彼女はこの作品をあれほど愛しそうに見ていたのか。
そんなことを考えていたら、急に彼女とのたくさんの想い出が胸の中にあふれてきてじわっと涙が出そうになった。
慌てて上を向いたけど一粒だけこぼれてしまった。
彼女もこの「マグリット展」を観るのだろうか。
マグリット展は、2015年6月29日まで東京・六本木の国立新美術館で開催中。
2015年7月11日(土)〜10月12日(月・祝)には、会場を京都市美術館に移して開催されるとのことである。
館内は撮影禁止だし、図録は購入したけど作品の写真はブログに載せられないので、マグリットの素晴らしさをお伝えできないのが残念だが、実物を観ることに勝るものはないので、ぜひこの機会にマグリットの作品世界に触れて気持ちを揺さぶられてほしい。
ちなみに、マグリットは僕が生まれた翌年に亡くなっているのだが、会場には亡くなった時に使っていたイーゼルと描きかけの絵の実物も展示されていて胸熱だった。
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