書きたいことはかなりタイトルのまんまなんですけど、実写版映画「進撃の巨人」の後編となる「進撃の巨人 エンドオブ ザ ワールド」を観てきました。
作品の感想は後ほど書こうと思っているのでとりあえずそれは置いといて、一番びっくりしたのは、シキシマがエレンにこの世界の真実を告げるというある意味重要なシーンの導入部分で、Skeeter Davis(スキータ・デイヴィス)の名曲「The End of the World」が流れてきたことです。
この曲は1962年にリリースされた彼女の大ヒット曲。
けっこう昔の曲ですが、Brenda Lee や Carpenters もカバーしているので曲名は知らなくても、聴いたことがある人は多いかもしれません。
歌詞は以前書いたエントリに引用させていただいてますが、内容はすっげー失恋ソングなんですよ。
だから映画の中のシーンで、シキシマが歌詞の一部を引用して強引に劇中の世界のことと結びつけて説明しているのですが、言いたいことはわかるけど映画の世界観とこの曲の世界観とはかなり別モンだよなあ、無理があるよなあという印象は拭えませんでした。
聴くと今でも涙がじわっとくるほどのこの大好きな曲を少し穢されたような気がして、曲が映画に使われたことはうれしかったけど、その使われ方が気にくわねえって思ってしまいました。はい、僕のわがままなんですけどね。
まあ、そんなわけでうれしいやら悲しいやら複雑な気持ちで劇中に流れるこの曲を聴いていたんですけど、あらためて作品名を見てみたら「進撃の巨人 エンド オブ ザ ワールド」じゃないですか。
だから「The End of the World」を無理やり使ったのかい?って思ったら、作品の出来不出来とは関係なく、やっぱり残念感の方が上回りました。だって安易すぎるでしょ。
自分の思い入れのある曲が、映画やドラマで使われているとけっこううれしいものですが、それも場合によりけりですよね。
けっこう前になりますが、「劇場版 SPEC 結(クローズ)爻(コウ)ノ篇」の最後に、佐野元春の「彼女」が使われていた時にはすごく嬉しくて、ジーンとしたものです。
できることなら、あの映画のあのシーンで「The End of the World」を安易に使ってほしくなかったな。とりあえず。
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