先日、ホームレスがいかに人に見えていないかというショッキングな実験映像をご紹介しましたが、今回も似たような実験映像です。
こちらもなかなかショッキングな映像で、ちょっと作為的なものを感じないでもありませんが、悲しいかなこれが現実なのかもしれません。
街角でいきなり咳き込んでうずくまり、そのまま倒れるみすぼらしい格好をした青年。
しかし、通りかかる人は誰も彼を気にしません。
少し彼の様子に目を向ける人はいても、決して声をかけたりはしません。皆が知らん顔をして通り過ぎます。
彼は「助けて・・・」とつぶやいているのに。
彼が倒れて5分が過ぎても誰ひとりとして歩みを止めること無く、彼を助けようとする人はいませんでした。
これは実験なので、誰も彼を助けなくても死ぬことはありませんでしたが、これが本当に具合が悪かったとしたらどうなっていたでしょう。
街を歩く人たちは彼がみすぼらしい格好をしていたから、もしかしたらホームレスに見えたから誰も声をかけなかったのかもしれません。
ここで映像は変わって、ニューヨークの病院の待合室。
順番を待っていたひとりの女性が突然倒れます。
しかし、周りの人も病院のスタッフさえも彼女を助けようとしませんでした。
結局、45分間も放置された彼女はその後救命処置を施されましたが死亡しました。これは実験ではなく実話です。
彼女はやはり身なりが貧しそうだったから、誰からも助けられることもなく無視された挙げ句に死ななければならなかったのでしょうか?しかも街角ではなく病院で。
今度はきちんとした身なりの男性が最初の男性と同じ場所で、同じように突然咳き込み倒れます。
なんと、彼が倒れ込んだ途端に周囲を歩いていた人は彼を気遣い集まってきました。
先ほどの身なりが貧しそうな青年の場合とは大違いです。
彼に話しかけ、助け起こします。スーツ姿の「まともな人」だから助ける価値があるのでしょうか。それとも自分たちと「同じ人間」と認識したものは見えるのでしょうか・・・
人間の命の重さは見た目で判断され、命の値段は確実に平等ではありません。
そんなことは頭ではわかっているけど、こうもあからさまに違うところを見せつけられると、やはりショックです。そしてあなたならどうしますか?って質問を喉元に突きつけられているような気がします。
ホームレスの実験映像のときもそうでしたが、やはり僕たちは周囲の人に対して、もっと人間として関心をもつべきなんだって心に突き刺さりました。
[ま]ホームレスの姿はあなたに見えていますか/たかが実験映像なのに涙が止まらなくなった @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)
他人事ではありません。咳き込んで倒れ、誰からも助けてもらえない青年は明日の我が身かもしれないのですから。
Le poids des apparences | The importance of ...
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