1965年9月30日に起こったインドネシアの軍事クーデターをきっかけとして始まった100万人規模の大虐殺。
この作品はその大虐殺の実行者たちの今にカメラを向けたドキュメンタリー映画だ。
作品の冒頭に次のようなテロップで簡単に説明がある。
1965年インドネシア政府が軍に権力を奪われた
軍の独裁に逆らう者は"共産主義者"として告発された
組合員 小作農 知識人 華僑
西側諸国の支援のもと1年足らずで100万人を超す"共産主義者"が殺された
実行者は"プレマン"と呼ばれるやくざや民兵集団
以来彼らは権力の座に就き敵対者を迫害してきた
殺人者たちは取材に応じ自らの行為を誇らしげに語った
その理由を知るためー殺人を自由に再現し撮影するよう彼らに依頼した
本作はその過程を追い成り行きを記録したものである
虐殺に関わった多くの人物が登場するが中心となっているのはアンワル・コンゴというプレマンとその子分的な存在のヘルマン・コトだ。
アンワルは1000人以上の"共産主義者"を殺害してきたという男。
誰もが恐れる元民兵であり殺人者である。
しかし彼は言う「自分たちのやってきたことが歴史であり未来に記録を残さなければ。物語を伝えていく必要があるのだ」と。
淡々とそして自分たちの行った大量虐殺を誇らしいと信じて疑わない男の顔からは疚しさの欠片も感じられず本気で歴史の偉業を成し遂げたと信じているようだった。
実際に殺害が行われた場所で殺害方法を説明しながら実演してみせるアンワルの表情には当然のごとく何のためらいも罪悪感も見られない。むしろ楽しそうである。
昔を思い出して興奮したのか殺害現場で楽しそうに踊り出すアンワル。
他のメンバーもアンワルが他の殺害方法を説明すると楽しそうにその再現に協力して大笑いしている。
彼らは"共産主義者"から自分たちが国を守ったのだと表向きでは豪語するが実態の話になると誰でも気にくわないやつは"共産主義者"に仕立て上げて殺して金を奪い、金のためならなんでもやったし殺すのを楽しむように殺したのだと平然と話し出す。
大量虐殺の実行部隊として活動を主導し、今なおインドネシア最大級の民兵組織であるパンチャシラ青年団という極右組織がこの作品には常に登場する。オレンジ色の迷彩服が目につく集団。
その規模は想像以上に大きく、撮影当時で300万人のメンバーを擁しており副大統領や大臣、国会議員や州知事などの政治家や金持ちの実業家などがメンバーとなっている。
そのためもあってかパンチャシラ青年団は共産主義者から国を守った英雄という扱いで国営テレビの特番に出て誇らし気にしている。まるで本当のヒーロー気取りだ。
当時のスハルト政権は全ての責任を共産主義者に押し付けて政敵や共産党とは無関係の人々までも粛清するために民兵やプレマンと呼ばれるやくざを利用した。
そして今なお政治家はパンチャシラ青年団とつながりを持つことで自分の利益を守り続けている。
それは実業家も同じで商売敵となる多くの華僑を彼らを利用して殺害し今なお彼らの暴力性をバックに農民から土地を買い叩き、組合潰しに勤しんでいる。
大量虐殺の犠牲となった"共産主義者"のレッテルを貼られた人々の子孫は復讐を恐れて未だに何も言えないのが現状だ。
過去の自分の所業を自ら再現することで次第に心境の変化を見せたアンワルは終盤、冒頭で楽しげにダンスを踊った殺害現場で吐き気が止まらなくなる。
そしてなぜ自分は人殺しをしてきたのかと自問し「殺すしかなかった。"殺すしかない"と俺の良心が命じた」と言い訳のように答える。
僕は当時の時代の空気を知らない人間が後から彼らを無慈悲に裁くのは彼らの行った虐殺と変わらないのではないかと思う。
だから彼らが楽しそうに殺害方法やレイプの様子を語るのを見ても嫌悪感を感じながらそれを裁くことができるのは一体誰なんだろうかってことをずっと考えていた。
時代の流れの中で自己利益を優先して生きるために人殺しを続けた彼らとそれを利用して権力や財産を築き上げた連中と。彼らを裁けるのは一体誰なんだろうかって。
映画を制作することで自分の中の肯定感が揺らいでほんの少しだけ心境の変化を見せたアンワルとその姿から何かを感じ取って映画の完成後にパンチャシラ青年団を脱退したというヘルマン・コト。
彼らはもしかしたら自分で自分を裁きはじめたのかもしれない。たとえそれがどんなに小さな変化で彼らの行った所業とは比べものにならない裁きだとしても。
その一方で過去の所業を顧みることもなく未だに権力と私腹を肥やすことに暴力装置である民兵を利用している政治家や実業家、パンチャシラ青年団の幹部たち。
彼らもいつか自分自身で自らを裁くときが来るのだろうか。
映画に出てきた奴らはもちろん全員が悪者なのだけど彼らを利用した本物の悪はこの作品に登場してこない連中ということをも思い知らされるところがこの作品の凄さ。
作品中でそれらの権力者と一緒に写真に写っていることを自慢していた新聞発行人イブラヒム・シニク。
彼の一言で誰を殺害するかが決まったというこの悪人は悪びれることもなく権力者を紹介していたがそいつらこそが真の悪でありその罪が白日のもとに晒されることはきっとないのだろう。
この映画は虐殺の実行者が自ら過去を再現するという手法が話題になった。
確かにアンワルたち殺人の実行者の抱える狂気には身震いするのだがこの作品を通してあぶり出されてくる本物の悪とその悪を生み出したものに思いを馳せるともう無力感と絶望感しか感じない。
そしてそこまで考えるとスハルト政権を支えたインドネシア最大の援助国である日本人の手も血塗られているに違いない。
いったいなんて作品なんだ。
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