[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]時間管理をするのはなんのため? @kun_maa

こんにちは!ボーッとゆるい生活が大好きな @kun_maa です。

時間は無料で、誰にとっても1日は24時間と平等です。

時間は使っても使わなくても消えてなくなるもので、どこかに貯めておくことはできません。
だから仕事をバリバリこなして成功し、充実した人生をおくるためには、時間を無駄にしている習慣を見直し、適切な計画と時間管理によって自分の生活をコントロールしなくてはならないというのがこの本の趣旨です。
そして、そのために実行すべきことが、順を追ってわかりやすく記されています。

「ダラダラ癖」から抜け出すための10の法則



ただし、本書の内容を実行するには生半可な意気込みだけでは難しいです。
第一に、心の底から習慣を変えたいという強い決心が必要です。
第二に自分のやりたいこと、やろうとしている目標を定め、具体的で測定可能な程度に細分化した上で行動計画を立てる必要があります。

たしかに、この本にしたがって忠実に行動することができれば、時間をある程度自分のコントロール下におくことができ、効率的で生産的な人間になれるかもしれません。

でも、この本を読んでいて、なんのためにそこまで時間管理をする必要があるのか、この本で言われている無駄な時間はそこまで忌み嫌われるべきものなのか疑問を抱かずにはいられませんでした。

それは、僕自身が人生に対する大きな目標を持っていないせいかもしれません。
あるいは、本書で取り扱っている時間管理の大部分が仕事に関することであって、読み進めるうちに人間をより効率的に、生産的に、生涯時間をフルに有効化することに価値があるのであって、いわゆる無駄な時間は切り捨てて生きていくことが意義ある人生であるというようにひねくれて感じてしまったからかもしれません。

本書で具体的に無駄だと言われている職場での世間話やコーヒータイム、長電話や不意の訪問客などの時間にも存在価値があるんじゃないかな、人間はそんなに時間を無駄にしてはいけないのかなと思ってしまうのです。

昔はよかったなというと、年寄り臭くていけませんが、そういう一見無駄に思える時間が職場で存在が許されていた頃と、今を比べると職場の人間関係や気持ちのゆとりが違って見えるのは僕だけでしょうか?

確かに、今はみんなが忙しくて、そんな無駄なことに使っている時間はないんだよ、だからしっかりと自分をコントロールして時間を有効に使って効率よく仕事をこなさければ、大切なことに使う時間さえなくなってしまうんだ、という意見には正論過ぎて反論することができません。

でも、なんか違うんだよなあという忸怩たる思いは、常に胸の中にあります。
こんなこというと意識が高い人からは、おまえみたいのがいるからダメなんだと怒られそうですけど。

本書で、いちばん違和感を覚えたのは、次のような主張です。

言い換えれば、成功しない人たちは楽しいこと、したいことをするだけでよしとするのである。結果をよくするための苦難に真っ向からぶつかるよりも、結果は貧しくとも楽をしたほうがましだというわけである。(中略)
成功が自然の欲求のままに生きていたら得られないものであるなら、成功するためには自分を変えなければならない。照準をもっと上に据えなければならない。
「クリストファー会議」が、アメリカ先住民の間に伝わる話を載せている。
ある戦士が鷲の卵を見つけて、それを雷鳥の巣に入れた。鷲の子は雷鳥たちと一緒に孵化し、一緒に大きくなった。巣に入れられたその鷲は自分を雷鳥だと思いこんで、雷鳥のする通りのことをした。土を引っかいては植物の種や虫を掘り出して食べた。まるで雷鳥のように鳴いた。地面から数十センチの高さを羽をばたつかせて飛んだ。雷鳥はそう飛ぶものとされている飛び方である。
何年かが過ぎた。
鷲は年齢をとった。ある日、彼は雲一つない空の彼方に一羽のすばらしい鳥を見た。その鳥は、優雅にして堂々たる威厳をもって強い風の流れに漂いながら、がっしりした金色の翼をほんのひと打ちしただけで空の高みへと舞い上がった。
「なんて美しい鳥なんだろう!」と老いた鷲は仲間の雷鳥に言った。「何ていう鳥だね?」「鷲だよ。鳥たちの頭だ」と雷鳥は笑った。「だが、あれのことはもう考えなさんな。あんなふうにゃ飛べっこないんだから」
老いた鷲は、言われた通り、二度と鷲のことは考えなかった。そして、自分は雷鳥だと思いこんだまま死んだ。
自分が実際は鷲かもしれないのに、雷鳥だと思って一生を過ごすことはいともたやすい。そうすることによって、自分自身もまわりのみんなもごまかしているのである。本当の自分になること。自分自身になりきることである。成功をものにできる時に、落伍者の座に甘んじることはない。 P.206〜207


そこに、落伍者と言われている雷鳥の視点はありません。
自然の欲求のままに生きる自由や、雷鳥として生きることへの尊重もありません。
あるのは、高みを目指す鷲を目指す視点だけです。
この部分こそが、この本の目指しているものをよく言い表しているような気がしてなりません。

僕は、しっかりと自己管理をして、時間を最大限有効に活用することが充実した人生をおくることだいう意見を否定する気は全くありません。
そう思う人は、そういう生き方をすればいいのです。

でも、それ以外の生き方を否定するのは間違っていると思います。
すべての人間が鷲ではないし、雷鳥や鶏やカモメの生活だって、本人が充実していると思っているなら、それは幸せだと思うのです。
それぞれの生き方があってそれぞれ努力をしているのです。

いろんな生き方が尊重されるゆるい社会が好きな僕の戯言かもしれませんが。


いずれにしても、時間を自分でできる限りコントロールし、より多くのことを成し遂げる有意義な人生に興味がある人、ついついダラダラと時間を使ってしまうことが今の自分の問題点だと意識している人、自分の時間の使い方に疑問がある人は本書を読むととても参考になると思います。

僕自身にとっては、なんのために時間管理をするのか、自分の生き方にあわせた時間管理とはどんなものなのかということを考えさせられた一冊でした。
 
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