[ま]競争社会から下りることのススメ/下りる @kun_maa
ちょっと振り返ってみてください。あなたはこれまで、ーあくせく・いらいら・がつがつーと生きてきましたね。そのような生き方で幸せが得られると思ってきました。
それはまちがいだったのです。そんな生き方で幸せになれるわけがありません。
これからは、わたしたちは、ーゆっくり・のんびり・ほどほどーに生きましょうよ。
でも、勘違いしないでください。ゆったり・のんびりと生きれば幸せが得られるのではなしに、ゆったり・のんびりと生きられることが幸せなんです。(まえがきより)
本書のタイトルは「下りる」。
なにから下りるというのか。現代の資本主義競争社会から下りるのだ。
だからといって、会社を辞めたり引きこもったりと全面的に下りてしまっては生活が成り立たない。
この本が提唱しているのは、精神的に下りてしまいましょうよということである。
いったい幸福とは何か?金のあることが幸福なのか?それとも、人間がゆったり、のんびりできる時間を持てることが幸福なのか?あなたはどちらの幸福を選ぶか?それを議論するのが政治でしょう。
そういう議論をいっさい抜きにして、1960年以降の日本は経済至上主義驀進してきました。(P.29)
日本が高度経済成長を迎えてから今日までの、経済至上主義の社会のありかたに著者は疑問を投げかける。
そして、日本を支配する競争原理について、本当は大多数の人を不幸にするシステムであり、美化されすぎていると述べている。
さらに競争社会においては、人間が商品にされてしまいます。
「あなたがたは、自分を高く売り込める人間になりなさい」そんな言葉が、高校や大学で語られています。教育者にとって、自分がやっていることは、生徒や学生を高い値段で売れる商品に加工することにほかならないのです。
そうして企業に入社した者ーすなわち企業に労働力として商品購入された人間ーは、自己の商品価値を高めるための努力が要求されます。(P.62)
そんなあくせくとして、報われることのない競争社会には見切りをつけて、ひとりひとりがもっとゆったりと生きる権利を保有していることを自覚しようよと本書は誘う。
キーワードは「少欲知足」。
欲望を少なくして、足ることを知るという仏教用語である。
ムダにあくせく、いらいらしないためには、欲望の実現の為の費用計算をし、コストに見合わない欲望は持つのをあきらめることが大切だと説く。
それは、例えば過労死の危険を冒しながらガツガツと働き人生を空しくしたマイナスと、それで獲得したポストのメリットを比較するといったことである。
そして、著者は「幸福になりたい」などという漠然とした欲望も捨て、いっさいの願い事すらやめてしまうことを勧める。
現実をあるがままに受け入れること。
「あくせく・いらいら・がつがつ」という生き方をやめ、「ゆったり・のんびり・ほどほど」に生き、苦しみも悲しみも楽しみもしっかりと受け止める生き方こそ、これからの我々が目指す生き方ではないだろうかというのが著者の主張である。
かなり極論に走っている部分や、競争社会から下りることのデメリットについてやや軽く見ていると感じる部分はある。
しかし、資本主義経済の本質や、勤労意識の刷り込みなどおもしろい主張に触れることができるほか、仏教をベースに置いた本書のエッセンスについては共感できる部分が多かった。
本書のいうとおりに下りても、下りなくてもどちらにしてもそれほど明るい未来は待っていないようだという点がなんともやりきれないのではあるが。
競争原理に毒されて、他人よりもパイの分配を多くしたいとあくせく・いらいら・がつがつと生きる人間は愚かです。そんな生き方をしても勝者になれる保証はありません。われわれは競争から下りるべきです。
競争を下りて、ゆったり・のんびり・ほどほどに生きましょう。
もちろん、苦しいときもあります。日本全体が貧乏になるのですから、誰もが貧しくなります。貧しくなって、苦しくなって、<ああ、いやだ、いやだ>と嘆いたところで、その苦しみが軽減されるわけがありません。ならば、苦しいときはしっかりと苦しめばいいのです。(P.190)