[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]動員の革命 @kun_maa

こんにちは!Twitterを始めて約4ヶ月、Blogを始めて約3ヶ月。まだまだひよっこ@kun_maa です。
 
本書「動員の革命 ソーシャルメディアは何を変えたのか」
 
本の帯にある紹介文を借りると「中東革命、震災復興からビジネス、報道の世界まで、ネットの枠を超えて現実社会を動かすエンジンとなったソーシャルメディアツイッター等を駆使しジャーナリズムの可能性を模索してきた著者が『情報の未来』を語る!」というものです。

 
本書の「はじめに」で著者は、私たちを取り巻く情報環境の変化について次のように述べています。

その本質は「誰でも情報を発信できるようになった」という、陳腐なメディア論で言われがちなことではなく、「ソーシャルメデイアがリアル(現実の空間・場所)を「拡張」したことで、かつてない勢いで人を「動員」できるようになった」というところにあるのです。(P.5)

たしかにツイッターをはじめとするソーシャルメディアの浸透は加速していて、今ではアクティブにインターネットを使っている利用者の2、3人に1人は何らかの形でソーシャルメディアを利用しているそうです。

したがって、ソーシャルメディアでの情報の流れは、人や社会に影響を与えることが大きくなっているのは事実だし、僕もそう感じています。

しかし、著者も指摘しているように、「アラブの春」や「オキュパイ・ウォールストリート」などに代表される社会システムに大きな影響を及ぼした事件においては、ソーシャルメディアは最初のきっかけをつくったのであって、ソーシャルメディアが単体で政治的な圧力になった訳ではありません。

ただオンライン上で愚痴をつぶやき続けても、「いいね」ボタンをいくら押してもそれだけでは当然のことながら何も変わらないのです。

その意味では、ソーシャルメデイアというのは、実は人が行動する際に、モチベーションを与えてくれるものー言い換えると背中を押してくれるメディアとして機能しているのです。「この人が言うことなら信頼できる」という行動するための判断材料がつまびらかにされるので、自分でもできることを協力しようと思える。(P.42)


ソーシャルメディアに背中を押されたリアルな活動があって、はじめて政治的な圧力となったり、社会システムを変えていくことにつながるのです。
 

したがって著者は「動員の革命」ということについて次のように結論づけています。

ソーシャルメディア革命とは、「動員」の革命なのです。
とにかく人を集めるのに長けたツールです。人を集めて行動させる。まさにデモに代表されるように、人が集まることで圧力となり、社会が変わります。そのソーシャルメディアの革命性が最大限発揮されたのが、「アラブの春」でした。

もちろん、イスラム世界などでの激しい命のやりとりを伴う大きな事件の話だけではありません。日本やアメリカ、比較的平和な先進国でも、同じように人の感情に訴えかけて背中を押すという機能が有効に働いています。

もっと細かい話、例えば、最近のイベントでは「ツィッターフェイスブックで、たまたま知ったから来ました」という参加者が増えています。人が行動するきっかけになっています。アーティストの中にも、ツィッターフェイスブック上でファンと交流した結果、「ライブのお客さんが増えた」と言う人もいます。それも含めて「動員の革命」なのです。(P.42〜43)


ソーシャルメディアの利用により、イベントに要する費用や周知の期間、そして、そのイベントに参加することに対する心理的な壁も低くなり、たしかに「人を集めやすくなった」のは事実でしょう。

また、ブログで「被害情報」を積極的に発信している長野県栄村が、非常に多くの寄付を集めている、という事例も紹介されています。

ソーシャルメディアによって背中を押された人々が、社会的な「運動」に参加する敷居は、ますます低くなっているのは間違いないと思います。

著者は「ソーシャルメディア=納豆論」と呼んで、主体的に行動する誰かがソーシャルメディア上で出てきたときについていきやすい、まさに納豆を一粒つまむと粘りが次の豆につながるようなものだと述べています。

そして動員の革命が起きている最大の理由を次のように挙げています。

ソーシャルメディアをアクティブに使う人にとっては、多種多様な世界の人と知り合うきっかけが生まれています。
本来なら絶対に話すことはなかっただろう、または絶対に友だちになることはなかったであろう人と知り合う。そして、具体的行動を共にする。従来であれば絶対につながらなかった人たちがソーシャルメディア上では自然につながり、それによってムーブメントが起きるーそれが「動員の革命」が起きている最大の理由なのです。(P.48)

 

<まとめ>
 
ソーシャルメディアが、かつてないほどの「動員力」を有し、現実社会をも動かすエンジンとなっており、そしてこの動きは今後さらにマネタイズを巻き込みながら拡大していくだろうという著者の現状認識及び今後の方向性についての考え方には賛同できます。
 
ただ、この革命に全員が乗れるのかと言えばそうではないことも現実でしょう。
「発信しなければ得るものはない」というのも事実であり、また、発信しても誰にも顧みられない映像やつぶやきやブログの方が、注目を集めることのできるものよりも圧倒的に多いのですから。
だからこそ、著者は「恐れず理解し、使いこなせ!」と言っているのかもしれません。

最後に2点だけ個人的に残念な部分があります。
 
1つ目は、言葉に対する個人的なイメージなのかもしれませんが「動員」という言葉のもつマイナスイメージです。
この言葉を使うとき、どうしても「動員する」側と「動員される」側という視点をもってしまい、動員する側には有利な社会だけど、動員される側は利用されている、踊らされているという印象が強く残ってしまいます。
ソーシャルメディアを使いこなして有利に立つ人間と、ただ十把一絡げの「動員」としての立場の人間という後味の悪さを感じてしまいました。
 

2つ目は文中で例として使っているものに、金銭的な動機づけがなくても善意により機能しているものに対して、金銭的な論理を持ち込むことをよしとしている次のような部分があったことです。

卑近な例で言えば、僕は知らない土地を訪れたとき、よくソーシャルメディアで現地の情報を尋ねます。先日もツイッターで「滋賀県にはじめて来たけど、琵琶湖の近くに美味しいお店ある?」と書き込んだら、「ここ、いいですよ」という反応がありました。それで実際に行ってみたらとても美味しかった。もちろん、その情報を教えてくれた人にはお礼を言いますが、もし「ありがとう」だけではなくて、50円や100円を送金できる機能があれば利用すると思います。(P.200)

金銭が絡まない好意として提供された情報によって助けられたのならば「ありがとう」という感謝で十分だし、次は自分が同様のことをすればよいはずです。

過去の様々な社会実験でも、人間関係として成り立っているものに対して、金銭的動機付けを与えると、その時点で人びとの協力関係や相互の支援体制が崩れて、元に戻らなくなるという多くの結果が出ています。

以上の2点以外は概ね著者の考え方に賛成ですし、モーリー・ロバートソン氏、宇川直宏氏、家入一真氏との対談や巻末の鼎談も非常に興味深く楽しめました。

ソーシャルメディアに興味がある方、使っている方、またソーシャルメディアというフィルターを通して時代の空気を感じてみたい方にお薦めの一冊です。
 
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