[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]正義という洗脳は避けても、この本に洗脳されそうw/正義という名の洗脳 @kun_maa

こんにちは!勧善懲悪の世界観にはなじめない @kun_maa です。
 
正義
1 人の道にかなっていて正しいこと
2 正しい意義。また、正しい解釈。
3 人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範
(デジタル大辞泉より引用)
 
正義について、辞書ではこのように解説されています。
 
この3つの解説による正義とは、やはりどれも絶対不変なものではなく、その時々の時代背景、社会の在り方によって変るものだと思います。
 
「人の道」も「正しい意義、解釈」も「社会行動の評価基準」のいずれも、時代や社会の在り方とは無縁ではない相対的なものだと思うからです。
 
「正義という名の洗脳」(苫米地英人 著)

 
 
本書は、この世に絶対的な正義は存在しないということを様々な観点から述べている本です。
 
著者は「人類に共通の絶対的な正義」があると思い込んでいるのは、洗脳されている証拠だと言い切ります。
この洗脳には「正義という絶対的な価値が存在するという洗脳」、「なにが正義かという洗脳」の二つの洗脳が根本的にあり、これら二つの洗脳について述べることで「正義に名を借りた洗脳」に騙されないようにすることが本書の目的です。

本書によれば、誰かが何かしらの理由で「正義」を語るとき、その裏側には「価値」の絶対性を主張する論理と「利権」が存在しているのだそうです。
 
世の中のなにもかもが洗脳の手段であり、その裏には必ず権力と利権が存在するということを滔々と述べていきます。
 
本書では、民主主義の世界では「法律」が正義だとされ、そこに「権力」と「利権」と「メディア」の存在を示し、洗脳が行われているという主張を柱にしています。

現在の日本は、民主主義国家、すなわち主権は国民にあります。ですから、正義かどうかを判断するのは、私たち国民です。私たち国民の多数決によって、正義が決まるとも言えます。私たち国民が選んだ国会議員が、多数決(世論)で決められた法律によって、正義が運用されているのです。
だから、現在の正義は「法律」とも言えます。
ただし、法律を決めるためには、裏で「権力」や「利権」という力が働いています。さらに、世論を左右する「メディア」の存在も忘れてはいけません。
言い換えれば、正義の裏側には「権力」があり、「利権」が絡んでおり、「メディア」が存在するのです。(中略)つまり、一部の人が利権を貪るために、絶対的な価値である正義という言葉が巧みに利用されているわけです。 P.24〜25

このような考え方を基本として、「法律」「利権」「教育」「メディア」の4分野にわけて、「正義」がいかに絶対的なものではないか、どのように利用され、洗脳されているのかということを、述べていきます。
 
各章の最後には章のまとめがあり、著者の主張したい部分が箇条書きで再度強調されています。
それは例えば、次のようなものです。
 
◯ 絶対的に正しい価値は存在しない
◯ ボランティアは煩悩である
◯ 思いやりやマナーは正義ではない
◯ 民主主義国家では、法律でしか正義を決められない
◯ 多数決が絶対に正しいということはない
◯ 正義の裏側には、必ず権力者がいる
◯ アメリカの正義は、お金で決められている
◯ オリンピックやワールドカップなどに騙されない
◯ 学校で道徳という特定の宗教を教えるな
◯ 「正しい」という言葉を使うのは正しくない
◯ 現在の学校教育には、軍事主義が含まれている
◯ 正義は世論で決まってしまう
◯ メディアが世論をコントロールしている
◯ 外資が日本のメディアを牛耳っている
◯ ツイッターやフェイスブックも洗脳のツール
 
本書には、確かに、なるほどなと感心する部分もあるのですが、著者が意識的にそうしているのか「極論」や「陰謀論」のような記述が数多くあり、本書が注意を促している洗脳からは逃れることができるかもしれませんが、逆に本書に述べられていることをそのまま信じると洗脳されてしまいそうですw
 
結局は、本書に書かれていることも含めて、何事も疑ってかかれということなのでしょう。
 
僕自身は、やはり絶対的で不変の正義は存在せず、正義とは相対的なものであり、つきつめれば「好き嫌い」という価値観になるのではないかと考えています。
 
だから、僕の正義はあなたの正義ではないかもしれないし、逆もそうです。
 
個人のレベルでは、自分の好きと感じることをしている人は「正義の味方」に思え、嫌いなことをしている人は「悪の手先」に感じるのです。
 
集団や社会のレベルにおいては、大多数が嫌悪感を感じることをする人は「悪」とされ、大多数が「好感」を感じることをする人に対しては、そこに「正義」を感じるのです。
 
しょせん、正義なんてそんなものだと思っていた方が、気楽でいいような気がします。
 
 
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