舞台は1958年のアメリカの田舎町。
主人公であるわたしが少年時代を回想して物語るという構成になっている。
当時12歳だったわたしは隣家に引き取られてきた魅力的な少女メグと出会い心惹かれて...って感じで不気味さを微塵も感じさせないまるで恋愛小説の出だしのような始まり方だ。
もちろんケッチャム作品なので爽やかな恋愛が始まるわけもなく次第に嫌な空気が日常生活を侵蝕してくる。
しつけと称する虐待に至る描写も最初の頃はそれほど酷いものには感じられない。感じ方に個人差はあるだろうけど。
でもそこで油断しているといつの間にか底知れない胸糞悪さに捕らえられてすでに逃れることができない状態であることに不意に気づかされる。
なぜ陰惨な虐待が始まったのか。
作品中でその理由は明かされない。
どんどんエスカレートしていく理不尽な暴力とその場面が頭の中に浮かんで消えなくなるほど凄惨な虐待描写。
普通の人たちが狂気に取り憑かれて歯止めの効かない虐待へと突き進んでいく過程に虫酸が走るほどの嫌悪を感じる。
人間の本質的な暴力性というものをまざまざと見せつけられているかのような体感。
無邪気に少女を嬲る子どもたちと場を支配する集団心理の恐ろしさ。
なすすべもなく雰囲気に飲み込まれていき、少女に好意を持ちながらも性的な視線で見つめる傍観者たる主人公。
作品を読み進めるうちにそんな主人公に僕もシンクロしていくのだ。
主人公にシンクロした僕は陰惨な虐待描写に嫌悪感を感じ不快に思うその心の奥底でゆらゆらと湧き起こる不思議な興奮に戸惑った。
唾棄すべき最低な行為だと頭ではわかっているのにそこに惹かれてややもすれば陶酔している自分を見つけて自己嫌悪と罪悪感を覚えた。
僕はこの小説を読むことで拒絶すべき犯罪の共犯者になったかのような錯覚に陥ったのだ。
また、際限のない壮絶な暴力に対する答えが暴力で締めくくられるという結末に対する鬱屈とした思いと裏腹にやはり心の奥で感じてしまった爽快感に自分の残虐性を突きつけられた思いがした。
まったく救いのない展開に読後感がいいはずもなく不愉快そのもの。
さらにはその不愉快さが自分自身にも向けられているという後ろめたさと背徳感は追随を許さない稀有な作品なんじゃないだろうか。
読後すぐに「汝が深淵を覗き込むとき深淵もまた汝を覗き込んでいるのだ」というニーチェの有名な言葉が浮かんだ。
諸手を挙げて万人におすすめするとは言い難いがさりとて読まずに済ますには惜しい作品である。
- 作者: ジャックケッチャム,Jack Ketchum,金子浩
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 1998/07/01
- メディア: 文庫
- 購入: 66人 クリック: 960回
- この商品を含むブログ (240件) を見る
映画化もされているんだけど見る気になれない見ることで呼び覚まされるかもしれない自分の本性が恐い。