スター・ウォーズの最新作「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」を観てきた。
映画館でもらったチラシを見ると「シリーズ史上最も衝撃的な真実が明かされる!」とか「鮮やかな<光と闇><善と悪>の壮大なドラマ」などの文字が躍っている。
何がそれほどの衝撃なのかあまり実感できなかったし、「光と闇」「善と悪」を二項対立させているようには素直に思えなかったのだけど戦闘シーンはスター・ウォーズらしい迫力で胸が躍ったし、「それ反則じゃね?」って思うライトセーバーの使い方には笑ったカイロ・レンとレイが暴れ回るシーンもおもしろかった。
それよりも観ていて感じたのは「勧善懲悪」や「伝説」、「ヒーロー」やそこから派生する「カリスマ性」などを否定しているように見えたところだ。
そいう意味ではかつてのシリーズからの脱却を図ろうとする衝撃作なのかもしれない。
勧善懲悪の否定
これまでは銀河帝国軍と反乱軍、ファースト・オーダーとレジスタンス、ジェダイとシスのように敵と味方を明確に分け、帝国軍やファースト・オーダー、シスは「悪」で反乱軍やレジスタンス、ジェダイは「善」というスタンス。
登場人物や集団がどちらに属しているかで善人悪人の判断基準になったりしていた。
今作でも基本的にそのスタンスは変わらないのだが、その境界を勧善懲悪で決めつけることに否定的であるように見えたのだ。
それはレジスタンス側の味方どうかで善人悪人を簡単に決めつけようとするフィンに対して、暗号解読者の「DJ」が諭した言葉やその時に示した対立しているどちらの陣営にも武器商人は武器を売って儲けているんだという例。
修行中のカイロ・レンの中に闇を見た善人たるジェダイのルーク・スカイウォーカーが眠っているレンを不意打ちで密かに殺そうとしたということ。
暗黒面の悪人たるカイロ・レンがレイアを攻撃しようとして止まるシーンやスノークを殺して銀河に新しい秩序を敷こうとするところ。
などなど完全なる悪人も完全なる善人もいないっていう当たり前といえば当たり前のことを表すシーンが今更ながら目立ったように感じたのだ。
伝説の否定
ルーク・スカイウォーカーの自分語りによる自らがダース・ベイダーとの戦いによって伝説となってしまったことの弊害。
ヨーダがルークに語った「師とは乗り越えられるために存在するのだ」という言葉。
既定勢力のファースト・オーダーやレジスタンスの崩壊もある意味「伝説」的なものの消滅だ。
ルークとレンが対決するシーンで、ルークの姿に過剰に反応し、部隊の全弾を打ち尽くさんばかりの集中砲火をたったひとり軽装で立つルークに浴びせかけたレンの心境も裏返せばルークの帯びている「伝説性」への恐怖と破壊だったのではないだろうか。
そして本物だと思って渾身の力で戦ったルークが実は念による実体を伴なわないホログラムだったことも「伝説」に踊らされたレンをあざ笑うかのように感じてしまった。
ヒーローの否定
多少無茶な行動をとっても最終的には目立った結果を出したやつが褒めそやされるような空気感を否定していると言ったらいいのだろうか。
典型的なのがそんなヒーロー性のあるポー・ダメロンに対する冷遇とヒーローでもなんでもない一介の整備士であるローズの大活躍。
それはまたジェダイという稀有の才能を持つヒーローの否定という面にも表れているように感じた。
師弟関係による英才教育の結果のジェダイの否定といった方がいいのかな。かつてダークサイドに落ちた失敗例を改めて振り返ったりルークの失敗をなぞったり。
その一方で特別な修行を受けていないレイの能力の開花やラストシーンで現れた少年の未知なる力の片鱗を肯定的に捉えているような空気感といったら考えすぎか。
もうヒーロー的な登場人物やカリスマ性は必要なくなるのかもしれない。
レジスタンスを引っ張るものはレイアの威光ではなく名もなき人々の地道な活動なのかもしれない。
いわゆる「ジェダイ」はルークで終焉を告げ今後はヒーローや伝説ではない市井のフォース使いの出番なのかもしれない...
駆け足で思ったことをパパっと書き連ねたので読み返すとなんかまとまりなく物足りない、コレジャナイ感があったりもするのだけど概ねざっくりとはこんなところか。
また後で手を加えるかもしれないけどとりあえずはこんな感じ。
全体を通して過去シリーズの軌跡や遺産をたどるような感じがした前作「フォースの覚醒」に比べて新しいスター・ウォーズの世界観を生み出そうとしているような雰囲気が窺われて僕は「最後のジェダイ」おもしろいと思うなあ。

スター・ウォーズ/最後のジェダイ オリジナル・サウンドトラック
- アーティスト: V.A.
- 出版社/メーカー: WALT DISNEY RECORDS
- 発売日: 2017/12/15
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