[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか(ロメオ・ダレール 著)/世界の無関心が見捨てた80万人の命 @kun_maa

アフリカの中央部にある人口過剰な小国ルワンダ。戦略的に特に価値はなく、これといった資源もないちっぽけな国である。そのちっぽけな国で80万人もの人間がたったの100日間で虐殺された。

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記

スポンサーリンク

本書の著者はこの大虐殺が始まる数ヶ月前の1993年8月から志半ばで現地を後にすることになった1994年8月までの1年間、ルワンダ駐留国連PKO部隊の司令官を務めたカナダの軍人ロメオ・ダレールである。

PKOの司令官だった彼は、自分の赴任期間中にルワンダで起こってしまった大虐殺を手をこまねいて見ていた訳ではない。

なんとか事態の収拾をはかるため、大虐殺が発生しないために懸命の努力を続けた。しかし国連は彼に必要な部隊や装備などのリソースも、積極的に事態の収拾に当たることができる指令も与えなかった。

本書にはダレールがどのように考え、何を行おうとしたのか、そして国連や事態を牛耳ろうとする大国が彼に何をさせず、どんな邪魔をしたのかが克明に書かれている。

 

そのボリュームは資料などを除いた本文だけで、2段組484ページにもわたる。

あまりのボリュームと詳細な内容、そして専門用語や翻訳書独特のわかりづらさに何度読了することを挫折しそうになったことか。

 

本書だけではルワンダで起きたことの全体像や細かい部分すべてはわからない。あくまでも著者の視点から見た局地的な文章だから、当時のルワンダの状況などについてある程度の知識がないと難解でもある。

ただ、そのような点を差し引いても本書から伝わってくる現地ルワンダの死と隣りあわせの臨場感はすごい。そして国連という組織のあり方の問題点や各国の無関心、大国のエゴなどが絡み合ってダレールの報告が握りつぶされ、必要な措置は遅々として進まず、なす術もなく殺されていく多くの人々と標的にされるPKO部隊の姿に読んでいてあまりにも悔しくて拳を握りしめ目は涙でうるんだ。

 

ルワンダで虐殺が発生した背景を知るにはベルギーの植民地時代である20世紀前半までさかのぼる必要がある。

ベルギーはルワンダを植民地支配するにあたってこの国に暮らす2つの民族、少数派であるツチ族と多数派であるフツ族を対立させツチ族によるフツ族支配社会を作り上げた。そうすることで自らの労力は最小限にとどめて多くの利益をルワンダから得ていたのである。

その後、フツ族の民衆蜂起によりツチ族支配は終わりを告げ、フツ族によるツチ族の虐殺、一部のフツ族のクーデターなどを経てある程度の安定期はあったものの、民族間の憎しみや軋轢など消えることのない傷跡を残すことになった。

 

その民族間の対立にフランスやベルギーが首を突っ込んだりすることで、事態は余計複雑に、そして高まった民族間の圧力は政治的不安定さを引き起こし、フツ族過激派によるツチ族の大虐殺へとなだれ込んでいくことになるのである。

その間の事態の経緯は逐一、ダレールから国連に報告されていた。またBBCを始めとする報道機関によってもこの虐殺の発生は世界に知らされていた。

しかし世界はその虐殺を知り、止める力を持ちながらもルワンダの人々を救おうとはしなかったのである。救えなかったのではなく救おうとしなかった。この違いは大きい。

 

著者は次のように書いている。

暴力的な過激主義は数十年間に及ぶ武力による平和の中で生まれたのだが、これはフツ・パワー(フツ至上主義)がその最終的解決を実行に移す前に、抑え込むか根絶することもできたものだ。自分たちの無関心や内輪もめ、混乱や対処の遅れによって私たちは、ジェノシデールを揺さぶって、ジェノサイドを阻止する機会を何度も逃してしまった。(中略)私たちは内戦の再開やジェノサイドを防ぐことができただろうか?端的に言えば、イエスだ。もしUNAMIRが、第一週目に要求した程度の控えめな部隊と能力の増強を得ていたならば、私たちは虐殺を止めることができただろうか?間違いなく止めることができただろう。それにより国連軍の犠牲者を出すリスクを負うことになっただろうか?そのとおりだろう。しかし、兵士たちや平和維持活動貢献国は、人命や人権を守るための対価を支払う覚悟をすべきである。もしUNAMIR2が予定どおりに、また要求どおりに展開されていたら、長期化した虐殺期間を短縮しただろうか?そのとおりだ、もっと早く虐殺を止めていただろう。(P.476)

 

もちろん過去の植民地支配による経緯はあるにしてもルワンダ人によるルワンダ人への大虐殺の究極的な責任はそれを計画し、命令・実行したルワンダ人にある。

それでも現場にいてこの事態を防ぐことができたはずだと自分を責めている著者は、この虐殺の発生は危機にさらされた人びとの助けを求める声に耳を傾けることができなかった人類の失敗の物語であると言い、次のように述べている。

国連とは国際社会を象徴する存在にすぎない。国際社会はそれぞれの国益を越えてルワンダの利益のために行動することができなかった。何らかの対応をすべきだということについてはほとんどの国家は同意していたが、どの国も、この問題に対応すべき国家は自国ではないという言い訳を用意していた。その結果として国連に、悲劇を防ぐための政治的意思と物質的手段が与えられることはなかったのである。(P.478) 

 

結局世界の無関心はこの地域における紛争を止めることができず、1994年から2003年に再燃した虐殺までの間に、コンゴ(旧ザイール)を中心にこの地域での死者は400万人と見積もられている。ルワンダでの失敗を世界は活かすことができず、悲劇を止めることができなかった。

それでも、著者はこのような問題を解決することができるのは世界の平和と安全を維持する責任を負い国際社会に支えられ国連憲章の基本原則や世界人権宣言にのっとった国連しかないと述べている。ただし、そのためには国連は生まれ変わらなければとも。

この国連の改革は官僚機構の弊害のみならず、加盟国の役割を再考し、目的の更新に責任を負うようにしなければならないと。

最後に述べられている著者の言葉が重たく心に突き刺さる。

本書で私は何度も問いかけてきた。「私たちは同じ人間なのだろうか?あるいは人間としての価値に違いがあるのだろうか?」と。間違いなく、先進国で暮らす私たちは、自分たちの命の方が地球上の他の人びとの命よりも価値があると信じているかのような行動をとる。あるアメリカ人士官は、80万人のルワンダ人の命はアメリカ人兵士10人の命を危険にさらすにしか価しない、そう言って恥じるところはなかった。またベルギー人は、兵士が10人戦死した後で、ルワンダ人のためにベルギー人兵士の命をこれ以上1人たりとも危険にさらすことなどできないと主張した。私がたどりつくことのできた唯一の結論は、私たちの中に人間性を注ぎ込むことが是非とも必要だということである。もし私たちがすべての人間が同じ人間であると信じているのであれば、私たちはどのようにしてそれを証明しようとするだろうか?私たちの行動によってしか証明しようがないのだ。第三世界の生活状況を改善するために使う資金を用意し、エイズのような恐ろしい問題を解決するために時間と労力を費やし、兵士の命を人間性のために犠牲にする覚悟をすることによってである。(P.483〜484) 

 

我々はこれからも第三世界の人々に無関心で居続けるのか。

それとも自らの生活や国益を犠牲にしても、他国で起きている人権問題解決のためにリスクを負い、自らの血を流す覚悟をするべきなのか。

本書はとても重たい選択を皆に突きつけているように思えてならない。  

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記

 
スポンサーリンク

このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。

RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。 

follow us in feedly