[ま]人の心はうつろいやすく僕は永遠の愛なんて信じない @kun_maa
タイトルで容易に想像がつくとは思いますが、今の僕はけっこう落ちこんでます。
こうやって文にしちゃうとなんか軽く見えますけど、実はとってもしんどいのです。顔で笑って心で泣いてってやつです。
さっきまでちょっと泣いてました。
自分でも「またかよー!」って思うのですが、辛いことや悲しいことを受け流すことが上手くできずに、そのまま反応してしまう性格はなかなか変わりません。
自分の気持ちのことくらいは多少わかっているつもりでも、それは常に変化していくもの。つい今しがたわかっていた自分はすでに過去の自分。昨日の僕は今日の僕とは違っているし、さっきの僕は今の僕ではありません。そんなことは当たり前。
自分の気持ちすら思いどおりにはならないのに、ましてや人の気持ちなどずっと変わらないと思う方がどうかしています。ええ、わかっていますとも。
ずっと一緒にいようね。すごく愛している。僕の(私の)気持ちは変わらない。喧嘩したって別れない。いつまでも愛してね。
そんな何の根拠もない言葉の虚しいことよ。そしてたとえ虚しくても言葉に頼るのは永遠に変わらない愛や心なんてないからなんでしょ?
永遠に変わらない愛や心なんてものが本当にあるとしたら、それを言葉にしてつなぎとめようとしなくとも必然的に変わらないはず。
饒舌な恋ほど実は不安の裏返しって今思いついたんですけど名言っぽくないですか。
言葉にしていないとあまりにも簡単に変わってしまうものだからこそ、せめて言葉の呪縛で変わらないように食い止めようともがいているんだよ、きっと。
この世界で永遠に変わらないもの、それは「永遠に変わらないものなどない」ということだけなのかもしれません。あゝ超ネガティヴ。
自分の前の変わっていくことから目を背け、真実に向き合おうとせず、自分を苦痛から守ろうと必死で言葉を繰り出しては空回りし続ける虚しさ。
気がつけば僕を愛してくれていたはずのあの人はもうそこには存在せず、存在しないものを繋ぎ止めようともがき苦しんでいる自分がひとりぼっちで取り残されています。
過去を嘆いても未来を憂いてもどうにもならないからこそ、今このときを大事に生きることこそが大切なのだと昔の偉い人たちは言いました。
でも、現在と正面切って向き合うこともやっぱり苦痛でしかないとき、それでも今このときを大事に生きなければならないのでしょうか。
何かを失う悲しみに向き合うのはいつだって、何歳になったってやはり辛いです。
逃げ出したいです。逃げちゃうか。
永遠の愛なんてないからこそ、これから先ではなくていま目の前の大切な人に愛していると伝えようっていつも思ってきましたし、そのために自分勝手にいろんな人を傷つけてもきました。自業自得。
変化していくのはもちろん人の心だけではありません。人生におけるすべてのことが無常。こうなるともう仏教の世界。勢いで頭を丸めて出家しそうです。
人生におけるすべてのことが無常だからこそ、辛くても目の前の現実に向き合い変化をちゃんと受け止めながら、時が流れるのを待つことだけが解決策なのかもしれません。
頭ではわかっているつもりなんだけど。ほんと頭でっかち。
別に泣いたっていいじゃん。もう泣いたけどさ。
さみしいときはさみしさを噛み締めながら涙を流せばいいんだよね、たぶん。
ごめんちょっと泣いてくるわ。
人の心はうつろいやすく、僕の心の中の君だってきっとすぐにいなくなるはず。
こんなことたいしたことじゃない。
僕はやっぱり永遠の愛なんて信じない。
だから未来のことは気にせずに、これからも目の前の好きな人にはちゃんと好きと伝えたい。愛していると伝えていきたい。
全然懲りてないな。まだ傷も癒えていないというのに。本当にバカなの?
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