人なんてのは、僕も含めて誰もが自分が正しいと思って生きているものですよね。
そう思ってなけりゃ生きられないもん。
自分が常に間違っていると思っていたらそれこそ病んでしまいます。楽しくないでしょ。
だから誰もがみんな自分が正しいと思っているはず。少なくとも僕はそうです。
だけど、当然ながらみんなが自分の正しさを主張すれば、それがぶつかりあった時に自分の誤りに気づくことがあります。
そんな時に自分の誤りを認めるのってけっこう悔しかったりしませんか。だって自分が正しいと思っていたことが「どうやら誤っていたらしい...」となるわけですから。
そりゃ、自分の誤りを認めたくないと思う気持ちもわかります。誰かの歌じゃありませんが、人はそれぞれの正義があって争いあっているようなものなのですから。ドラゲナイ!
そこに細かい人間関係や、自分のプライドなんて厄介なものが絡んでくると、さらに始末に負えません。
「俺はあいつよりもこの件に関しては詳しいんだ」、「俺より奴の方が格下のくせに」、「私の方が年上なのに」、「これは人助けでやってあげているんだから、助けられている奴から文句を言われる筋合いはない」、「ここで折れて主導権を渡すわけにはいかない」などなど。
気持ちはわかるけど、こうして文にして目の前に晒してみると嫌ですねぇ。醜いですねぇ。だって人間だもの みつをですねぇ。
だけど、やっぱり自分が誤った、間違えたと思ったらちゃんと謝ってみませんか。
くだらないプライドや権力争いや人間関係の上下なんてものはひとまず置いといて、素直に「ごめんなさい」「すいません」「I'm sorry.」「ขอโทษนะครับ」「मुझे माफ कर दो」「Je suis désolé.」「Lo siento.」などなど、何語でもいいから謝りましょうよ。ちゃんと相手に通じる言葉で心を込めてね。
そりゃ場合によっては、謝って済むなら警察はいらねえ!なんて場面もあるかもしれませんが、そういう場合でもやっぱり謝ることから始まるんじゃないでしょうか。
自分の間違いを認めるのは、時にとてもつらいことかもしれません。
だけど、自分の誤りや間違いを認めて謝罪しないことで傷つく人がいたり、人間関係が壊れたりするのを見ると、自分には直接関係ないことだとしても、謝ることができない人のことをそれまでと同じように仲間意識や親しみをもって見ることはできなくなります。
僕は何でもかんでも謝れってことを言いたいのではありません。それは逆に不様です。
自分の信念を持たずに、へらへらとなんでもとりあえず謝っておきゃいいんだろ?って態度は別です。自分が間違えた、誤りを犯したという自覚なしの謝罪ほどみっともないものはないでしょ。そういうのは謝っているのではなくて、媚び諂っているというのです。
僕は自分の間違いや誤りを素直に認めることができ、それを謝ることができる人のことが好きだし尊敬します。
そして、もちろん自分もそういう人間でありたいと思っています。
僕が間違っていることを言ったり、やったり、書いたりしていたら、そしてそれに気づいていないと思ったら一言教えていただけるとありがたいです。

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