この演説に初めて出会ったのは高校の英語の授業。
その頃の僕は、一生日本から出るつもりはないと思っていたから、英語なんてまじめに勉強する気もなかった。
英語の時間は退屈で、そして苦痛でしかなかった。
当時、発音がでたらめだった英語教師は、それを誤魔化すための教材として、英語の歌や映画のワンシーンをよく使っていた。
そんな教材のひとつとして僕はこの演説に出会った。
それがチャップリンの「独裁者」(原題:The Great Dictator )のラストシーンの演説だ。
この映画がアメリカで公開されたのが1940年。
この年はドイツ軍がフランスに侵攻し、パリ無血入城を果たした年でもあり、日独伊三国軍事同盟が結ばれた年でもある。
相当きな臭い時代ではあるけれど、太平洋戦争はまだ始まっておらず、ナチスによるユダヤ人大虐殺、いわゆるホロコーストもまだ本格化していない頃である。
そんな時代に製作されたこの演説シーンを見て、僕は心が震えたのを今でも鮮明に覚えている。授業中だというのに、語るほどに激しくなっていく演説シーンに涙が溢れそうになった。
独裁者ヒンケルと間違われたユダヤ人の床屋チャーリーが行う演説。
静かに語り始め、やがてその言葉は強烈に人間性に訴えかける言葉を激しく連ねていく。
久しぶりにあの演説が聞きたくて、YouTubeで見つけたのが次の映像だ。
「独裁者」の演説にニュース映像を取り込むことで、よりメッセージ性が強いものとなっているのが気になったが、だからといってこの演説のすごさが減じられるものではないと思う。
その内容は、いま聞いてもまったく色あせていない。むしろ今の社会を予言しているかのようにさえ感じる。
久しぶりに、やはり心が震え涙がこぼれた。
内容もさることながら、チャップリンの情熱や怒りが直に心に伝わってくる語りかけが素晴らしいのだと思う。
チャップリンがこの作品を製作してからすでに73年が過ぎた。
我々は、どれだけチャップリンが語った人間性溢れる社会に近づいたのだろうか?
それともそんなモノはくだらない理想論に過ぎないのだろうか。
この演説以上に心を震わされる演説に未だ出会ったことがない @kun_maa でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
このブログを気に入っていただけたら、下のボタンからツイートやいいね!、お気に入り登録などしていただけるととてもうれしいです。
また、RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。