[ま]僕にできることは祈ることしかない @kun_maa
彼に出会ったのは8年ほど前。
都内のタイ料理屋で働いていて、よく一緒に朝まで飲んだり騒いだりしたものだった。
タイ料理屋で働く前は、ある格闘家のジムでムエタイのコーチをしていたという。
タイに家族を残したままで日本に働きにきて、そのまま不法滞在10年以上だった。
彼は日本で知り合った同じくビザの無いタイ人女性と暮らしていた。
年齢は前に聞いたけど忘れてしまった。
僕よりも何歳か上だったから今は50代のはずだ。
とても優しくて気のいい男で、いろいろと面倒を見てもらった。
とても高価なタイのお守りを僕にくれようとして、一緒に暮らしていたタイ人女性にこっぴどく怒られたこともあった。
若い頃はやんちゃもしていたようで、タイに帰ればマフィアともつながりがあるから、いつかバンコクでおもしろい遊びをいろいろ教えてやるとも言われていた。
そんな彼がとうとう不法滞在で入管に捕まり、タイに強制送還されたのが5年ほど前のことだった。
僕はその後、彼に会いにタイを訪れたことがある。
彼は北部の生まれだったが、故郷には帰らずに日本で一緒に暮らしていたタイ人女性とスパンブリーという中部の街のど田舎に住んでいた。
なにもない田舎の片隅で、食堂兼生活用品を扱う何でも屋をやっていた。
彼は相変わらず明るくて優しかったけど、財布のひもをしっかりと彼女に握られていて、お金には困っているようだった。僕は黙って1万円を彼女に見つからないように手渡した。
一緒にビールを飲みながらビリヤードをしたり、昔話をしたり、バカっ話をした。
不法滞在で強制送還されても数年経てば、またビザが取れると彼は言った。
だから、ほとぼりがさめたらまた日本に行くよと笑顔で言っていた。
また、どこかのジムでムエタイを教えるんだとも言っていた。
僕も彼にムエタイを教わりたいなと思った。
昨日、彼の共通の友人であるタイ人からメールが届いた。
彼は首に癌ができて、手術もできない状態だという。
もう手の施しようも無く、ひん死の状態でまもなく死ぬだろうと。
突然のことに僕は言葉を失った。
また日本で再会できるものと思っていた。
強制送還されても数年経てばビザが取れるという彼の言葉は眉唾ものだったけど、彼のことだから「日本に帰ってきたよー」と驚かされる日が来るものだと思っていた。
まだ、バンコクで危ない遊びも教わっていない。
彼の特技のムエタイも教えてもらっていない。
それなのに、僕が彼にできることはなにもない。
ただ、彼が苦しまずに死ぬことを祈ることしかできない自分の無力さに嫌気がさした。
なあEddy、話が違うじゃないかよ。
また朝まで酒を飲んでバカっ話をして楽しくやろうぜ。
ちくしょう。
最後までお読みいただきありがとうございます。
このブログを気に入っていただけたら、下のボタンからツイートやいいね!、お気に入り登録などしていただけるととてもうれしいです。