[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]物乞う仏陀/圧倒的な現実の前に浅はかな正義感は力を失う @kun_maa

 

 

アフガニスタンパキスタンへの国境への旅。あれが私にとって初めての本格的な海外旅行だった。
ちょっとした冒険気分の軽い旅のはずだった。
しかし、国境に群がる難民たちは、私の青く浅はかな思いつきを打ち砕いた。彼らが向けてきたのは思い現実だった。脛から下を切断された両足、水疱だらけの皮膚、額から顎までを覆うケロイド、そして眼球のない顔、それらは静かに、しかし力強くこう語っていた。これが現実なのだ、これが世界なのだ、と。(No.63)

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この体験が著者に強烈な印象を残した。この旅で出会ったような人々が他の国にもいるのか、それともあの場所が特別だったのか。そして、彼は休みのたびに異国を訪れた。

そして、訪れたどの国にも障害のある物乞いはいた。盲人、聾唖者、手足の欠損者、ハンセン病や象皮病を患った者、あらゆる障害者が路上で慈悲を乞うていた。

なぜ彼らが手足を失い物を乞うようになったのか、そして障害者は各国でどのような状況に置かれているのかという問題意識を抱いて、彼は東南アジア各国、スリランカ、ネパール、インドを訪れ、多くの乞食や障害者へのインタビューを繰り返す。

そこで出会う過酷な現実に打ちのめされ、きれいごとや正論、浅はかな正義感は虚しく力を失い、ただ彼らと過ごした日々や経験を驚きや嘆き、困惑とともに書き綴ることでしか形にすることができないと著者は悟る。

本書に登場する障害のある物乞いたちの現実はあまりにも過酷だ。

きらびやかな高層ビルの谷間で盲目の夫婦は人々に邪険にされながらも歌い続け、ハンセン病の差別に人生を奪われた人々は感情を押し殺しながら生きながらえ、高級車の脇でストリートチルドレンはシンナーを吸引し、死んでいく。

宝石店の裏で幼い子供たちは手足を切断され、物乞いをさせられる。そして自分の意志とは関係なく拉致され臓器を抜き取られる物乞たち。

輪廻を信じることにしか生きる希望を持てない人々、逆に輪廻の考えに囚われて不幸になる人々。

障害者が生まれることで、一家の生活が破綻することすらあるアジアの農村の貧困と適切な治療も受けることができずに放置される障害者たち。

これが著者の見てきた世界だ。

富める者は物乞いを見ようともせず、貧しき者たちがさらに貧しき者たちを食い物にする負のループも広がっている。

インドでのマフィアの暗躍、物乞いを作り出すシステムの理不尽さと絶望感を書き綴った章では、悲惨さや哀しさ、怒りを通り越して、人間の業の深さと救いのない世界を感じることしかできない。

誰がなにをどうしたらこの世界を変えることができるというのか。その答えはない。

過酷な現実を突きつけられる本書にあって、せめてもの救いは、そんな彼らの中にも、笑い、楽しみ、人生を精一杯生きている者たちがいること。

著者が全力でぶつかり、時には身の危険を感じながらも闇の世界を覗き込み、書き綴った渾身のレポートである。

 

 

 

 

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