タイのお守りをプラクルアン(พระเครื่อง)という。
多くのタイ人が身につけている。
プラクルアンにはさまざまなタイプのものがある。
これは仏像を象ったもので「ソムデット」と呼ばれるタイプのもの。
このままでは身につけることはできない。
身につけるためにはケースに入れる必要がある。
例えば、こんなふうにケースに入れて首からぶら下げるのが一般的な身につけ方だ。
仏像や高僧を象ったものが多いが、このようにヒンドゥー教の神様であるガネーシャなども信仰の対象としてお守りになっている。
タイでは銃弾や虎の毛皮もお守りとなる。
タイは上座部仏教の国として知られているが、本来の上座部仏教とは出家者のみが悟りを開くために仏教の戒律を守り修行をするものである。
お守りの不思議な力でいいことがあるなんて、本来の上座部仏教では認めないはず。
タイのお守り文化は、もとからタイにあったアニミズムと仏教が合体した産物と言えるだろう。
多くのタイ人が現世利益を求めてお守りを身につけている。
それは「護身」「開運」「いい人になる」「商売繁盛」「恋愛成就」「お金持ちになる」といったようなご利益。
中には、銃で撃たれても、ナイフで刺されても死なないお守りなんていうのも存在する。
戦時中には、特別に祈念したお守りが兵士に配られたこともあるという。
皆がお守りに期待するのは不思議な力によるご利益なので、不思議な力を持っていたとされる高僧が入魂の儀式を行ったものや、古い仏教遺跡から発見されたようなものは高価で取引がされている。
入魂の儀式は普通にお寺に行って、お坊さんに頼めばやってくれるが、大々的なものはこんな感じで執り行われ、その様子がお守りの宣伝パンフレットに使われたりする。
いかにもご利益がありそうだ。
僕はタイのお守りの多様なスタイルと美しさに魅せられ、そしてやはり不思議なご利益というのを期待して多くのお守りを手に入れてきた。
ちゃんと数えてはいないが、現在120〜130個くらいは持っている。
その全てではないが、数種類のお守りを取り換えながら、必ず毎日身につけている。
身につけている理由は、最初のうちはもちろん不思議なご利益を期待してだった。
実際に不思議な体験をしたこともある。
でも、いつからかタイのお守りを身につけることは、自分の中に常に第三者の目を意識することに変わってきた。
首から下げたお守りは心臓の近くにある。
僕は熱心な仏教徒ではないが、常に仏像や高僧を象ったお守りの存在を胸に感じることで、行動に迷った時、「自分がやろうとしていることは本当に正しいことなのか?」「これをやめてしまっていいのか?」などという問いかけをしていることがある。
そんな大げさな問いかけをしないときでも、常にお守りに見られているようで、悪いことはできないようになった。
立ち小便、ゴミのポイ捨て、信号無視、歩きタバコ・・・etc.
僕は自慢じゃないが意志が弱い。
放っておくとどんどん水が低きに流れるように楽な方へ楽な方へと流れていく。
だから、そんな自分の意志の弱さを補うためにタイのお守りプラクルアン(พระเครื่อง)を毎日身につけている。
信仰心というよりは習慣として。
仏教の戒律を守るほどまじめな人間でもないし、常に煩悩の塊には変わりないのだが。
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