[ま]映画「ノック・ノック」の巻 @kun_maa
一夜の過ち...なんて甘美な響きだろう。
機会があれば是非とも過ちたいものだと常日頃思っているのだけど終ぞそのような目に見舞われたことがない。
きっと日頃の行いが悪いのだろう。
いやいや容姿に問題があるのかもしれない。
僕がもしキアヌ・リーヴスだったらその端麗な容姿をフル活用してきっと一夜の過ちてんこ盛りだったに違いない←クズだな
キアヌ・リーヴスといえば「スピード」や「マトリックス」シリーズ、「コンスタンティン」に「ジョン・ウィック」シリーズなどアクション作品で数々の主演をこなしている魅力的な俳優。
僕はキアヌ・リーヴスのファンだ。
アクション作品はもちろんのこと個人的には「スウィート・ノベンバー」や「イルマーレ」などの甘いマスクを活かした恋愛作品も大好き。
ああ神様もし生まれ変われるのなら次こそ僕をキアヌ・リーヴスに...
そんなわけで映画「ノック・ノック」だ。
前振りどおりキアヌ・リーヴス主演作品。
美しい芸術家の妻と2人の可愛らしい子どもがいる幸せな家庭持ちの主人公エヴァン(キアヌ・リーヴス)
そんな彼が家族の留守に自宅で思わぬことから一夜の過ちを犯すという設定。
理性の力で必死の抵抗を試みるエヴァンが美女二人組み(ロレンツァ・イッツォ、アナ・デ・アルマス)にむちゃくちゃ誘惑されて半ば強引に一夜の過ちに突入させられるという流れだ。
美女と3Pとかなんだようらやましいな!やっぱイケメンはいいなおい!...と思ったのも束の間。
そこはほら監督・脚本・製作はあのホステルシリーズのイーライ・ロスだから。
いい思いをしただけで終わるはずもなく一夜の過ちをがっつり後悔させられる展開が待っているってわけ。
キアヌ・リーヴスがどんな仕打ちを受けるのかってのはこれから観る人の気持ちを台無しにしてしまうから割愛するけど美女二人の不気味ないかれっぷりに観る人はじわじわと気持ちがなんともいえない不安に侵食されていくだろう。
最後まで女たちの意図が全く読み取れないところも不安要素を高める。
ホステルのような直截的な痛みに対する恐怖というよりは心理的に弱らされる感じがなんともいやらしいサスペンスホラーだ。
枝葉を切り落としてバッサリ簡単にいえば幸せなイケメンが一夜の過ちで痛い目をみるという因果応報な話なんだけど、それにしたってどうなのよこれはって感じで笑えず震えてしまうのは僕が男だからかどうなのか。
さほどストーリー展開が素晴らしいというわけでもないので単調さに途中でちょっと飽きたりもするんだけどさ。
あのキアヌ・リーヴスがかわいそうなくらい惨めな感じになるのでそこはポイント高いかも←本当にファンなのか?
それはさておいてもサスペンス系ホラー好きな人やキアヌ・リーヴスのファンなら暇なときに観てみるのもいいかもしれない。
ということでいかがでしょうノック・ノック!
さて今回僕は「一夜の過ち」と何回書いたでしょうか。
[ま]メガガンジャの祝日限定「メガ麻婆まぜそば」が美味しくて秋 @kun_maa
平成30年9月17日は平成最後の敬老の日だった。
この日いつもの祝日と比べてTwitterのTLには仕事に向かう人のつぶやきが多いように感じた。それはまるで普通の月曜日のように。
当然のように遅く起きてTwitterを見た僕は「あれ?もしかして今日平日だった?」って焦りまくり胸がきゅんとしたのを覚えている。
祝日で本当によかった。
祝日といえばメガガンジャ。
そう祝日限定&数量限定メニューが登場するのだ。
今回の限定メニューは「メガ麻婆まぜそば」。
券売機に貼り付けられたいつもの手書きメニューがメガガンジャらしさ。
無料トッピングは写真のとおりヤサイ、ガーリックチップ、ショウガ、ニンニク、辛めの5種類。
僕はヤサイチョイマシ、ニンニク以外全マシで!
注文して待つこと数分。
メガ麻婆まぜそばヤサイチョイマシガーリックチップショウガ辛めマシがどーん!
チョイマシだとヤサイ山はそれほど聳え立たない。
それでもゆるやかに盛り上がる山は麻婆に覆われて食欲をそそる。
横に盛られたショウガはとても魅惑的だし花椒のエキゾチックな香りに刺激されて脳が興奮状態になる。
そしてまぜそばである。
ヤサイチョイは混ぜるの容易なところも魅力のひとつ。
やっぱやるでしょ...ふぉぉぉぉおおおおうぅぅぅうううううおおおお!
ひゃああああぁぁぁああああいぃぃいやあああああ!
ぐぅおおおおおおおおぉぉおおおうぉぉおお!
カップ焼きそばと比べて混ぜ込み方がずいぶんヤワじゃないかと思われたかもしれない。
家ではいろんなものが多少飛び散ったところで構わないのだけど今回はお店だ。
しかも僕の両隣には人がいたので派手に飛び散らすと無用のトラブルに発展する可能性があり泣く泣く僕はその手を緩めたのだった←チキン野郎め!
そんなわけで混ぜ込み完了。
あれ?麻婆らしさはどこいった?
見た目に麻婆っぽくなくなったけど実際には全てが麻婆に染まっているのだ。
ちょっとなに言ってるかわかんないかもしれないけど。
婚前渾然一体となったメガな麻婆まぜそばをズルズルズルッと豪快に啜る。
よく出汁のきいた美味しい麻婆ソースは花椒の心地よい痺れを伴ってとても美味しい。
メガガンジャ特製の極太麺はたっぷりとこの旨旨な麻婆ソースを全身にまとって僕の中に吸い込まれていく。
こりゃ美味い。
ヤサイまみれ麻婆まみれのゴワゴワワシワシの極太麺がたまらなく愛おしい。
まぜそば自体がとても美味しい上にこれは白米と合わせたらいいおかずになるなあって想像が膨らむ。
白米食べないけどね炭水化物だから←
麺をあらかた食い尽くした後に残った麻婆的なヤサイや肉や豆腐などをレンゲでワシワシと食べていく。
最後まで刺激的に美味い。
辛さはそこまで強くないのだけど汗が噴き出るもう秋なのに。
もちろん完食!
うん、気持ちいい!
祝日はメガガンジャの限定メニューに限る。
秋分の日が楽しみだ。
ごちそうさまでした!
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[ま]映画「MEG ザ・モンスター」の巻 @kun_maa
海洋パニック映画の主役といえばサメ。
冷酷で凶暴な海のギャングというか殺し屋というかまあそんなイメージ。
あの何の感情も読み取れない黒目を見ると絶対こいつらとは意思疎通できないよね、金輪際分かり合えることはないよねって思えてしまうから余計に怖いのかもしれない。
愛嬌の欠片も感じられないサメはだからこそパニック映画の主役になれるのでありそんな悪役のサメが僕は好きだ。
懐かしいところでは「ジョーズ」なんてほんと名作だと思う。
子どもの頃にどれほどドキドキしながら観たことか。
何回観てもあの音楽が流れると条件反射的に動悸がしてしまう。心音が1オクターブ上がってしまう。
ジョーズ以降サメを使ったたくさんのバカらしいB級作品も生まれた。
最近のB級作品のなかでは「メガ・シャーク」三部作や「シャークネード」シリーズなんておすすめ。
ほんとバカらしくて笑ってしまうから。
「ディープ・ブルー」や「オープン・ウォーター」、「シャーク・ナイト」あたりは他のくだらないサメ映画(失礼だな!)と比べるとそれぞれ一工夫あっておもしろい。
さてそこで「MEG ザ・モンスター」である。
MEG(メグ)って響きがちょっと女の子の名前を連想させて可愛らしい感じがするのは僕だけだろうか←それは「魔女っ子メグ」
この作品に登場するのは全然可愛くないサメだ。
サメといってもそんじょそこらのフカヒレ野郎とはわけが違うよ。
太古に滅びたとされるメガロドン。
そうメガロドンだから「MEG」ってわけ。
ちなみに前段で紹介したB級作品「メガ・シャーク」シリーズに登場するのもメガロドンなんだよこれマメな。
さてさてこのメガロドンがものすごくでかい。
普通サイズのホオジロザメがメダカに見えるくらいでかい。
クジラを頭からバリバリと喰らい尽くすほどでかい。
全長23メートル、大型バス2台分くらいの大きさがあるってんだから相当のものだ。
この作品ではその巨大なメガロドンがスケール感もバッチリ素晴らしい映像で楽しめる。
これはけっこう迫力があっていい感じだ。
まるで実在するかのようなメガロドンが大迫力でガシガシと大暴れするのだからサメ好きにはたまらない。
加えて出演者もこの手の映画にしてはなかなか豪華。
主演のジェイソン・ステイサムに相手役はリー・ビンビン。
アメリカドラマ好きにはおなじみ「HEROES」のマシ・オカや「Fear the Walking Dead」のクリフ・カーティスなんかも出ていて懐かしみ。
ただ残念なことにストーリーがいただけない。
なんでそうなるの?って違和感をいたるところで感じてしまう。
話の膨らみに欠ける。
わざと落としているとしか思えないところもしばしば。
いろんな意味でこれから盛り上がるかと思った場面で裏切られてはしごを外された気分を堪能できる。
伏線を張っているのかと思いきや回収されずに放置されて僕の期待はどうすればいいのと途方に暮れたくもなる。
海洋パニック映画かと思ったら...いやもうやめておこう。
最後に付け加えると登場人物の描き方が薄っぺらいというかほとんど掘り下げていないので誰かが死んでも全く響かない。
そんなわけでせっかくの迫力ある映像の無駄使いという感は否めない。
とはいえそれなりにドキドキ体験はできるし映画館の大きなスクリーンで観るのが気持ちいい類の映画ではあるのでストーリーの稚拙さには目をつむってひたすら映像を楽しむというのも一興かと。
僕は2Dで観たのだけどいっそのこと3DやIMAX上映で観ればより映像に集中して楽しめるのかもしれないなって思った。
さあどうするどうする?
[ま]中野青葉のこだわりつけめん鴨せいろ風を喰らう @kun_maa
映画を観に行ったついでに青葉のつけめん食べてきた。
映画の半券を見せると大盛 or 玉子 or 海苔がサービスになるのでこの映画館に行った時はだいたい食べてるね青葉。
青葉のメニューは中華そばとつけめんだけっていうシンプルなのが魅力なんだけど時々期間限定で特別なメニューが入るからそれはそれで見逃せない。
今回は「こだわりつけめん 鴨せいろ風」ってやつ。
映画の半券サービスで一番お得感があるのは大盛りだからいつも大盛りにする。
こだわりつけめんも「大盛りで!」って元気よく言ったら「こだわりつけめんは大盛りできません」って冷たく言われたのでじゃあ「玉子で...」となって(´・ω・`)ショボーン
席で待つこと数分。
こだわりつけめん 鴨せいろ風が キタ━(゚∀゚)━!!!!!!!
半券サービスの玉子がやけに雑なのが気になるといえば気になる。
通常は言わないと出してくれないゆず唐辛子がデフォで付いてくる。
麺は全粒粉を使っているのであろうそば風の見た目と細さ。
鴨せいろを意識しているだけのことはあるよね。
やっぱり玉子の雑な盛り付けが気になるけど。
つけ汁は茶碗蒸しの入れ物みたいな器に入っていて麺をたくさん入れるとこぼれそうだし入れづらいし...これはちょっとどうなんだろうか。
鴨脂が使われているらしく油膜が表面を覆っていた。
つけ汁の中には玉子やチャーシュー、メンマなど通常のつけめんの具が入っている。
あれ?鴨肉は?鴨肉入ってないよ。
ああ...だから「鴨せいろ風」なのか「風」だったのか。
見た目そば風の細麺をつけ汁につけてつるつるつるつるっと啜る。
鴨脂の香りは意識しないとわからないくらいだけど香る。
そういえば若干和風かなあと感じる程度の味わい。
これが鴨せいろのつけ汁かっていわれるとそりゃちょっと違うんじゃない?って言いたくなるのだけど美味しいことは美味しいからある意味困る。
麺には思ったよりもコシがあってツルシコな感じが美味しかった。
鴨せいろか否かと聞かれたら「否!」と即答するけど決して決して不味いわけでない。
鴨せいろじゃないけど美味しいつけめん。
こだわりつけめんではあるよねって感じ。
なんか煮え切らない書き方になってしまったけれど本心だからしょうがない。
つるつるつるつると喰らい尽くす。
途中で入れたゆず唐辛子がこれまたよく合うんだよ悔しいけれど。
麺を喰らい尽くしたらつけ汁をスープ割りにしてゴクゴクと飲む。
青葉本来のダブルスープに和風な風味を加えた感じで僕はけっこう好きかもしれない。いや好きだ。
さっきまで「小さくて麺を入れにくいななんだよこれ」って思っていた器もつけ汁をいただくには上品な感じでいいかも。
そんなわけで鴨せいろかといえばそうじゃないけど十分美味しいこだわりつけめん鴨せいろ風を汁まで全部いただきました。
美味しいつけめん食べるとちょっと幸せ←安上がりかよ
[ま]僕と世界 @kun_maa
僕の世界は僕が死ねば消えてしまう。
僕の世界は僕だけのものだ。
積み重ねた記憶や経験や感情やそんなものたちでできている認識のフィルターは僕固有のものだから僕が死ねば僕が見て感じて生きている世界は消滅する。
もちろん僕だけがそうなのだというわけでは全然なくて全ての人がひとりひとり違う自分だけの世界に生きているのだ。
あなたが見ている世界と僕が見ている世界と彼や彼女が見ている世界は全て違う世界。
僕たちはひとつの大きな世界が歴然と存在しているとなんとなく思っている。
自分が感じている世界は他の人たちと共有されているものだとなんとなく信じている。
でもそんなものは幻想なのかもしれない。
幻想という言葉を使ったからといってそこに何も存在しないという意味ではない。
そこには確かに何かが存在しているのだけど僕たちが認識している事物と実際に存在している事物との間には乖離がある。
例えば目に見えているものひとつを取っても僕たちの目はそこに存在しているものそのままの姿を捉えているわけではない。
光が物に当たってその光が反射したものを映像として把握しているにすぎない。
光の当たり具合や強さによって認識は変わるし光がなければそもそも見えない。
それ故に僕たちが認識している世界はみんなそれぞれ違ったものとならざるを得ないのだ。
だから世界はひとりひとりが認識している異なる世界の集合体なのだと思う。
みんながひとつの同じ世界に生きているという意味での世界なんて実は存在しないのではないか。
そう考えるとまるっきり違う世界で生きている人と人とが僅かでもわかりあえたり共感したりできるって奇跡的なことだと思えてくる。
それがたとえ勘違いから生じたとしてもだ。
生きている世界が違うんだから分かり合えなくて当然なんだ思えば他人にも自分にも優しくなれる。
それぞれの生きている世界が大切で愛おしいものだと感じる。
近頃は毎日ビールを飲みながらそんなことをひとり考えたりしている。
とても地味だけどこんなふうに答えのないことをつらつらと考えることは楽しい。
そんなわけでこの本がとても気になっている。
[ま]捨てる旅 @kun_maa
旅に出てその先々で異文化に触れるたびに自分の中の様々なものを捨てざるをえなくなる。
捨て去られるものはその時々で違うけれど、例えばプライドだったり常識や善悪の基準、価値観や自尊心や信念或いは感情の振れだったり。
旅に出ると人は多くの出来事や人に出会いそこからたくさんのインプットを得ているように感じるのかもしれない。
でも僕の旅はしばしば多くのものを捨てることになり喪失感や無力感に包まれる。
道端に転がされた手足の無い人、追いすがる物乞いの人々、日々弱りゆっくりと路上で死んでいく老人、目の前で焼かれる死体、街中にあふれる野生動物、じりじりと照りつける炎天下で蝿がたかり売られている生肉、酢飯の匂いなのか饐えた匂いなのか判別しかねる露天の寿司、旅行者をカモにしようと待ち構える詐欺師や泥棒、外国人狙いのぼったくり店、胡散臭いポン引きたち、車道をフルスロットルで逆走するトゥクトゥク、悪臭のする汚水の中で泳ぎに興じる子供たち、大人に混ざって懸命に働く幼い子供、顔や手の一部が欠損したらい病者、容赦ない自然現象や災害の爪痕、地雷の埋まった森林、すり寄ってくる売人と簡単に手に入る麻薬、公衆便所に転がる使用済みの注射器、風にそよぐ大麻、鈍色に光る銃と弾丸、置屋の少女、街角で客引きをする白塗りお化けのような売春婦、悪意なく人を殺めそうな雰囲気のストリートチルドレンたち、公園で倒れているジャンキー etc.
僕が日本でせっせと貯めこみ身につけたはずの常識や価値観はこれらの現実の前ではあまりに無力だった。
打ち砕かれて廃品のようになったプライドとともに捨て去られるのだ。
僕は自信をなくし感情を喪失しそれらを表現するための言葉すら失う。
刺激的な旅であればあるほど多くのものを捨て去り失うことになる。
そうやっていろんなものを捨て去らなければきっと自分が保てなかったのだろう。
内面が空っぽになるほどの旅の喪失感が懐かしいといえば記憶を美化しすぎているのかもしれない。
それは必ずしもカタルシスを伴うものばかりではなかったから。
それでも僕は時々思うんだ「ああ重たいな...」って。
たくさんのものを否が応でも捨てて身軽になるような旅をやめてからもうどれくらい経つのだろう。
僕は蔓延する日常生活にすっかり埋没しながら繰り返される日々をただ漫然と生きている。
旅の空の下で惨めに打ち震えていたちっぽけで空虚な自分を忘れてしまったかのような傲慢さを身につけて。
あの頃の旅への憧れを未だに燻らせたままで。