[ま]Go To Somewhere @kun_maa
疫病流行の暗き時を経て時代は大Go To時代である。
税金をドカンと投入したこのGo Toの波に乗らなきゃ損々って雰囲気で、ついこの間まで新コロ怖いと怯えていた人々がハーメルンの笛吹き男に導かれる鼠や子どもたちのようにGo Toへとダイブしている。
僕の周りでもすでにGo Toした人たちが散見されるのだからこれはもう遠い世界の他人事ではない。
報道ではGo To トラベルは旅行業社への初期の分配金が底をつきそうで割引旅行の募集を中止しているところがあるとかないとか。
僕もGo Toしなくちゃ行かなくちゃ君を迎えに行かなくちゃ雨に濡れー♪ by Yosui Inoue
よし!Go ToするぞGo Toするぞって鼻息荒くなったものの元々国内旅行に興味があるわけでもないから重い腰が上がらずネットで見かけるホテルやツアーのGo To料金眺めてけっこう高いじゃんとか思ってしまう。
そこで今月から始まったGo To Eatである。
予約サイトが儲かるだけだと言われたり、安価なお店を利用した錬金術が話題になったりとスタートからなかなか香ばしいキャンペーンだけど飲み食いには興味が尽きない僕にぴったりだなって思ったわけ。
今まで縁のなかった予約サイトにいくつか登録してお店探しを始めたところ思わぬ問題があってこれはちょっと僕向きではないかなと。
それはおひとりさまの当日予約が取りにくいこと。
今まで予約サイトに縁がなかったという時点で気づけよって話だけど、飲みに行くときはほぼ独りでしかも事前に予定を組むのが嫌いで当日の気分でふらっと出かけるのが好みな僕にはハードルが高い。
当日予約でも2名ならほとんどのGo To対象店では予約可能なことが多いが1名はかなりの確率でダメだ。
そもそも予約時期にかかわらず1名での予約を受け付けていない店もある。
これはもう僕のようなやつには使いづらい状況というかもしかして排除されてる?
なんだよGo Toのメリット享受できないじゃん...
もっと柔軟に利用できないものか。
ふらっと気ままなおひとりさまにも優しくGo Toの甘い蜜を吸わせてくれないか。
そこで汚職事件もといお食事券の出番。
国が25%の上乗せ分を負担してくれて各自治体が発行するGo To Eat事業のお食事券。
まだ発行の詳細が明らかになっていない自治体も多い中で俺たちの埼玉県では10月12日からネットでの先行予約が始まっている。
25%増しなので1万円で1万2500円の食事券が手にはいる。
キャンペーン参加店なら突然の利用でもおひとりさまでも食事券を使うだけなのでGo Toのお得感を味わうことができるってわけ。
こりゃいいよね。
使えるのは埼玉県内だけど購入は埼玉県民でなくても大丈夫だから埼玉県で食事をする機会がある人にはおすすめ。
僕はとりあえず3万円分申し込んだよ。抽選ではなく先着順なので早い者勝ち。
これで僕も大手を振ってGo Toのお得の波に乗れると安心していたら地元市役所の広報紙が届いた。そこにはGo To事業ではないけど先月から申し込みを開始していて今日で申し込み期限を迎える市が発行するプレミアム商品券の案内が載っていた。
1世帯3万円限度で申し込み多数の場合は抽選という制限はあるもののこちらの上乗せは先ほどの食事券を上回る30%
1万円で1万3000円分の商品券が買えるのだ。Go Toよりお得じゃん。
この商品券、商品券という名前に惑わされてはいけない。
市内限定とはいえ飲食店での利用ができるんだよねつまりお食事券。
僕の住んでいるところは歴史があってそれなりに大きな市だし観光地でもあるから飲食店も多い。
もう買うしかないよね限度額3万円で3万9000円分の商品券。
たぶん抽選になるだろうから当たらないかもしれないけれど当たったらこれでGo Toいーとしよう。
ってことで僕のGo Toは近場へGo Toすることになりそうだ。
Go Toご近所。
それにしてももしかしたら満額6万円+上乗せ分1万6500円。
全て近場の飲食に融かしていいものかという懸念は捨てきれずこうなったら豪遊するかねお食事券握りしめてさ。
[ま]悼みを言葉で残す @kun_maa
好きな店がなくなってしまうのはひどく寂しい。
もう二度とあの雰囲気の中で飲むことができなくなってしまうのかと思うと胸が締めつけられる。
Baby然り
Cariage然り
店がなくなっても人さえいれば別の場所でまた会える。
店としての箱は残っていても人がいなくなってしまうのはひどく悲しい。
あの人にもう二度と会えないという実感が僕の日常を部分的に欠落させる。
いわゆる友だちという関係ではなかった。
僕は客として彼は店長としてお互いいつも接していた。
馬鹿話をするときでさえどちらも節度は欠かさず敬語を使っていた。
自分で言うのもなんだけど僕は常に良い客だったし彼も常に良い店長だった...と思う。
一見謙虚そうに見えてその実、根拠があるのかないのかわからない自信満々で唯我独尊的な彼の言動に元気付けられたりムカついたりした。
仕事が嫌いと言いながらひとりでめっちゃ働いて客が増えて忙しくなると無表情になるのもおもしろかった。
気がつけばもうすぐ4年だった。
見送ったときの顔がやけにきれいで生きているようで僕は悪態のひとつもついてやりたかったけど(もちろん敬語で)
もうそれができないことがなんだか悲しかった。
新しいゲームを買ったのでいつものようにLINEで知らせたくなったけど
漫画の話やゲームの攻略法やクソゲー報告もできなくなっちゃったんだなって思い直す。
そういえばビールの話なんてあまりしなかったな。
ビール屋のくせに毎晩いいちこばかり飲みやがって。
後悔がないと言えば誤魔化しているみたいで
後悔にまみれていると言えばひどく大げさだ。
悲しくないと言えばなんか違うし
悲しくて泣きくれていると言えば大嘘だ。
僕は今日も静かに悼んでいる。
[ま]うぃずころなの世の中で @kun_maa
緊急事態宣言という厳しい自粛自粛の生活が終わりを告げて
新しい生活様式ガー!コロナと共存ガー!経済回復ガー!と街中に人混みが戻り
懐かしくも忌まわしい通勤ラッシュとの再会を果たして活気が戻ってきたかなぁなんて思っていたら
都内の1日の感染者数が過去最大です!地方でも感染が広がっています!ついにあの岩手にも!こんな状況でも「Go To」やるとかマジか!などと一頃とても騒がしかったよね
そういえば「Go To」本当にやってんの?
外出自粛の効果で感染者数が減ったから緊急事態宣言をやめた体だったんじゃなかった?
みんなが引きこもってたから感染が抑えられたのに自粛やめたら増えるの当たり前じゃん
何を今更ってみんな思ったよね?
だってそれが「うぃずころな」ってことでしょ
感染者は増えているけど死者や重症者が増えているわけではないからそりゃもう仕方ないって
ワクチンも治療薬もない状況で新型コロナウィルスと共存するってそういうことなんでしょ
そんなことを満員電車やバスに揺られて通勤しながら思ったりします
夜の街って一括りにして叩くのが以前より加速した感があるうぃずころな
若者に広がってるって声高に責め立てていたけど実は中高年層にも広がってたよねうぃずころな
感染者をあれだけ叩けば当然言えなくなるじゃんって思ったけど感染経路不明が増えているのがうぃずころな
誰かを叩いたり貶めたりしている場合じゃなくてみんな自分にできる感染防止策を地道にやるしかないし
こうなる前の社会のあり方と比べたらいろいろ我慢せざるを得ないのも仕方ないのがうぃずころな
暑さと息苦しさでクラクラしながら大嫌いなマスクをし続ける夏
手すりなんて掴みたくないなと思いながらも乗り物が揺れて人に押されてしょうがなく手すりを掴み続ける日々
好きなアーティストのライブが軒並み中止でもめげない日々
そんなうぃずころなの世の中で「ふぁっくころなうぃるす」と思わない日はありません
[ま]ふぁっくころなうぃるす @kun_maa
こんなご時世ですが相変わらず毎日会社に出勤してます。
通勤電車は通常モードに比べればかなり空いていて僕の通勤経路では三密になることはほとんどないです。
三密って密談・密会・密告でしたっけ
あれ?コロナ関係ない...
電車は空いているけど出先の見えない空気感に人心は荒んでいるのでしょうか。
今朝なんて僕にわざとぶつかってきたおばさんが知らんぷりして去って行きました。
急に方向を変えて僕に突進してきたおばさんに気づき咄嗟に避けたので、腕におばさんの肩がぶつかっただけで痛くも痒くもなかったのですが、まともにぶつかっていたらおばさんの方が転んでいたであろうことを考えると「当たり屋かよっ!」って心の中で声を出さずに呟きたくなりました。
僕とおばさんの体格差ならこちらが怪我することはなくせいぜい因縁をつけられる程度なのですが、これがおっさんの突撃を受けた女子であったらほんと怪我する可能性もあるので皆さん怪しい動きをするヤバい人たちには気をつけましょう。
右を見ても左を見てもコロナコロナ自粛自粛とうるさくて
楽しみにしていたライブは軒並み中止
大好きなビアバーはみんな臨時休業或いはテイクアウト営業のみという状態。
開いているお店があっても今の雰囲気では電車に乗って飲みに行ける感じではないですし。
いつまで続く泥濘ぞって閉塞感に包まれたこんな世の中じゃイライラする気持ちもわからなくはないけれど他人に八つ当たりするのはやめてほしい。
ぶち殺すほど憎むべき敵は新型コロナウィルスなんだからさってまあウィルスは生物じゃなくてタンパク質分子だから殺すことはできませんけどね。
ウィルスへの不安や怒りを不特定多数の他人への八つ当たりや特定の国や個人へのヘイトや攻撃に向けるなんてのはもってのほかです。
こんな時くらい人間どうし仲良くしましょうよ。
あ、仲良くって言ってもハグやキスはダメダメ。
こちとらコロナ関係なくそんな機会ないけどなってうるさいな。
リアルな世界ではイライラをぶつけてくる危ない人もいるからせめてネットの世界くらいはお花畑であって欲しいと願ったところで虚しくて。
現実以上にギスギス刺々しい言葉や怨嗟渦巻く様相に近頃疲れ気味です。
Twitterなんて自分がTweetすること専用でタイムラインを眺めることはほとんどなくなりましたよ。
たまにチラ見するくらい。
だって有象無象の情報過多と恨みつらみの言霊にあてられて心が疲弊しちゃうんだもの。
Facebookはまだマシだけど普段はそれほど気にならない政治的な発言や特定のイデオロギーに染まった投稿が鼻についてしまってやっぱり心労。
その点Instagramはいいです。
こんな時でもああああああビール美味しい肉うめぇ世界はこんなにも美しいってな感じで心の平安・平静・平穏の三平で満たされていますよ素晴らしい。
いやいや決して能天気だとか馬鹿にしているわけではなくてね。
こんなご時世だからこそそういう世界がいつにも増して愛おしいわけです。
本当に困ったもんです。
ふぁっくころなうぃるすと思わない日はありません。
[ま]僕は猫の餌 @kun_maa
家に猫がいる。
元保護猫で我が家に来てから3年ほどになるだろうか。
家族にはほどよくなついているのだけど未だに僕とは距離を置いている。
届きそうで届かない微妙な位置から僕のことを見ているだけで決してその距離を縮めようとはしない。
相手は猫なのだから僕の方からもっと愛想よく歩み寄ればいいという話もあるがどうやら僕はあまり彼女に好かれていないようだ。
普段は近づいてくることのない彼女だけど僕が落ち込んだり体調を崩して元気がないときにだけすり寄ってくる。
これが妙になれなれしくていつもの態度とは打って変わってやさしさの塊かよってくらい寄り添ってくるのだ。
そんな態度がかわいらしくて以前ブログにも書いたことがある。
久しぶりに記事を読み返してみるとこの頃とあまり関係性は変わっていないことがわかる。
そしていつもはツンツンしているくせにこちらに元気がないときにはやさしく寄り添うなんてことをされると胸がキュンとする。
ロンリーハートをわし摑みぢゃないかよてなる。
このやろうほんとは大好きかよっ!とデレっとしてしまうのもそりゃもう仕方ない。
先日あるお店で美味しいビールを飲みながらそんな猫と僕の話をしたら意外なことを聞いた。
人間が弱っているときに猫が近づいてくるのは、弱り具合に共感して慰めてくれているわけではなくて、その人間を餌として見ているからなのだという説があるらしい。
元気がない人間に近づいてさらに弱るのを待っているのだ Oh! My God!!!
そう言われてみれば思い当たる節がないでもない。
寄り添ってくるときに僕の髪の毛に鼻先を突っ込んできて頭皮を執拗に且つ美味しそうにペロペロしてくるのだけどあれって味見だったのかな。
デレっとした僕が彼女を抱き上げようとすると猛烈に抵抗するのに、あきらめた僕が横になって休んでいると忍び寄ってきて上から覆いかぶさってくるのもしかして捕獲されてたのかな。
僕が風呂に入った後にその風呂の湯を舐めに来るので変な奴だな行灯の油を舐める化け猫かよって思っていたけどあれはひょっとして風呂に出た僕の出汁を味わっているのかな。
家族には常に普通にすり寄ってニャーニャーと会話したりするのに僕にはほんとに元気がないときにしかすり寄って来ないの僕だけが餌だと思われているってことかもしれないな。
なんだか泣ける...
[ま]マタニティマークとおじさん @kun_maa
席がガラガラに空いていて自分だけ立っているとどうにも不自然だなってときや、体調が悪いときにしか僕は電車で座ることがない。
その例外が朝の通勤電車。
始発駅から乗車できるので、最寄駅から乗換駅までは今の職場に通うようになってから毎朝座っている。
少し前までは毎朝同じ場所に乗っていたのだけど、汗かきおじさんや図々しい爺さん婆さんとの攻防、インド系の人々の発する香辛料の体臭に疲れてしまったので、現在はちょこちょこと乗る場所を変えている。
通勤電車でいつも同じ席に座ってるんだけど今朝は折返し乗車しやがった婆さんにその席を取られた。腹立つなあ◯ねよって思ったけど、その席で僕の隣には毎日インド系の男たちがわらわらと座ってきておしゃべりの喧騒とカレー臭に包まれるのだ。(続く)
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
(続き)婆さんもその洗礼を受けろや!ざまーみろってちょっとワクワクして待ってたらいつもの席が空いてるのにインド系の男たちが僕の周りにわらわらと座ってきた…なんで?君たち僕の仲間?友達?
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
席に座ったときは本を読むかスマホでドラマや映画を観るか目を瞑って音楽を聴いているかという過ごし方の僕はいずれにしても周囲に目を配ることはない。
ただ隣に座った人の動きには敏感だ。
それは隣の奴の肘が当たったとか貧乏ゆすりが酷いとか咳がうるさいとか鼻くそをほじっているとか落ち着きなく動いているとかそんなことだ。
そういうことが気になって嫌な気分になることが多いというのも僕が電車の中で座りたがらない理由でもある。
それはいつもの通勤電車の初めて座った場所でのこと。
僕が乗り換える駅のひとつ手前の駅に到着したときのことだ。
隣に座っているおじさんが急にきょろきょろしだして挙動不審。
うざいな...
あまりに動くので「居眠りでもして自分がいまどこの駅にいるかわからなくなったのか?」ってちょっと小馬鹿にした眼差しで様子をうかがっていると、このおじさん急に立ち上がった。
「ああ、やっぱりそうかいまから慌ててこの駅で降りるのか。ドアに挟まってしまえ!」と思った刹那、今しがたこの駅から乗ってきたと思しき女性に合図して席を譲ったのだ。
そしておじさんは少し離れた場所に移動してなにごともなかったようにつり革につかまった。
席を譲られた女性は会釈しながら小さな声でありがとうございますと言って僕の隣に腰を下ろした。
おじさんと女性はそれ以上会話などなく、特に知人という感じでもなかったので不思議に思い僕の隣に座ったその女性の方をチラッと見たらバッグにマタニティマークのキーホルダーが揺れていた。
マタニティマークは知っていたけど通勤電車で実際に見たのは初めてだった。
いや、今までも周囲にいたのかもしれないけど全く気付いていなかっただけかもしれない。
そのおじさんが周りに無関心な僕とは違って乗車中は常にマタニティマークをつけている人を気にしているのか、それとも毎日同じ場所に乗ってくるその女性に毎回席を譲っているのかそれはわからない。
これが普段あまり電車での態度や行動にいい印象のない爺さん婆さんたち(ごめん)に席を譲ったのなら僕はたぶんなんとも思わなかっただろう。
だけど僕が今まで存在は知っていたけど気にしたことのなかったマタニティマークの人に対して、自分の隣に座っていた僕より年上そうなおじさんがサッと席を譲ったのだ。
軽く衝撃だった。
ボーッと生きてんじゃねーよ!だった。
なんとも言いようのない罪悪感のようなものが心の中に沸き起こってきたけど最早どうしようもない。
すでに席は譲られたのだ。
罪悪感のようなものの後に感じた同じおじさんに対する敗北感にも苛まれながら僕は隣駅でうつむきながら電車を降りた。
せめて次は次こそは迷いなく立ち上がってマタニティマークの女性に颯爽と席を譲れるようになろうと、爺さん婆さんには決して席を譲ったことのない僕は思った。
席を譲る行為の対象に対するこのモチベーションの違いはなんだろうかと訝りながら。
そんなちょっと苦い昨日の朝の出来事を忘れないように書いておこうと思った僕はこうしてブログに書いているわけだけど、今朝は同じ状況になるのが恐くて違う場所に乗ってしまった。
そういうとこだぞ。
これだから僕はいつまでたってもダメなのだ。