レイモンド・チャンドラーの代表作とも言われている長編ハードボイルド小説。
あまりにも有名で今更って感じだけど、僕にとっては若い頃にチャンドラーの独特の言い回しが好きになれずに途中で読むことを放棄した作品でもある。
なぜ好きになれずに挫折した本を手に取ったのか。
それは以前 Kindle本でセールをやっていて購入したままになっていたからという単純な理由と、他にも挫折した本はたくさんあるのにこの本だけはなぜかずっと気になっていたから。
以前はその独特さが鼻について好きになれなかったチャンドラーの表現方法が、今回はすんなりと抵抗なく受け入れられた。というよりむしろそのおもしろさに取り憑かれてむさぼるように読んだといってもいいかもしれない。
作品は変わっていない。僕が歳をとって変わったのだ。
有名な私立探偵フィリップ・マーロウは「かっこいい」。
「かっこいい」という言い方がふさわしいのかどうか不安だけど、イケメンとかそんなんじゃなくて男が男として憧れる「かっこよさ」だ。
不可解な事件に巻き込まれ、警察やヤクザものの暴力に晒され上に理不尽な扱いをされても自分の生き方を曲げない。ビビらず、媚びず、時に真っ向からでも立ち向かう。
そんなマーロウの不器用だけど、筋の通った生き方に失われた「男の矜持」を感じ取るのは僕だけじゃないだろう。
たぶん若かった頃の僕にはそういうものが何も見えていなかったし、魅力を感じることもなかったんだと思う。
そういう意味では読む人を選ぶ作品であることは間違いない。
言葉は悪いけど鼻っ垂れ小僧には理解できない魅力が、この作品全体を通して語られているのだと思う。
それは男の意地や友情であったり、裏切りや社会に対する皮肉であったり......薄っぺらい内容の探偵小説からでは決して感じることのない、多くのものをこの作品から感じ取ることができた。
僕も少しは大人になったのかもしれない。
もし次にいくつか引用した表現に抵抗がなく、おもしろい長編ハードボイルド小説を探しているなら、この「長いお別れ」を一読することをおすすめしたい。
私はめったに心を動かされない性質だが、彼はどこかに私の心をとらえるものを持っていた。それがなんであるかはわからなかった。わかっているのは白髪と疵あとのある顔とはっきりした声と礼儀が正しいことだけだった。
私たちは<ヴィクター>のバーの隅に坐って、ギムレットを飲んだ。「ギムレットの作り方を知らないんだね」と、彼は言った。「ライムかレモンのジュースをジンとまぜて、砂糖とビターを入れれば、ギムレットができると思っている。ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、他には何も入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない」
シルヴィアは幸福には違いないが、ぼくといっしょでなくたっていいんだ。われわれの社会では、どっちみち、そんなことは重要じゃない。働かないでよくて、金に糸目をつけないとなると、することはいくらでもある。ほんとはちっとも楽しくないはずなんだが、金があるとそれに気がつかない。ほんとの楽しみなんて知らないんだ。
「アルコールは恋愛のようなもんだね」と彼はいった。「最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ」「そんなに汚いものか」と、私は尋ねた。
「君はぼくを買ったんだよ、テリー。なんともいえない微笑みやちょっと手を動かしたりするときのなにげない動作やしずかなバーでしずかに飲んだ何杯かの酒で買ったんだ。いまでも楽しい想い出だと思ってる。君とのつきあいはこれで終わりだが、ここでさよならはいいたくない。ほんとのさよならはもういってしまったんだ。ほんとのさよならは悲しくて、さびしくて、切実なひびきを持っているはずだからね」
どうだっただろうか。かなり独特の言い回しだと思うだろうが、これが気にならなければあなたはきっとこの本を読むときがきているのだと思う。
チャンドラーの「長いお別れ」は読むに相応しい時期にだけ読むべき一冊である。
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