先日、末娘が小学校を卒業しました。
卒業式が始まる前の保護者への注意事項を真面目な顔で壇上から話す先生の姿に、なんで教師が親の面倒までみないといけないのかなあと悲しくなりつつも、やっぱり事前に注意しておかないとダメなんだろうなあと周囲の親たちの無駄話や撮影する気満々な姿を見回してちょっと納得。
<保護者への注意事項>
- 「一同起立」と言われたら保護者も起立すること
- 保護者代表のあいさつの際には、保護者全員起立して代表者に合わせてお辞儀をすること
- 自分の座席を立って移動しての撮影は禁止
- 携帯電話の電源はオフにすること
- 卒業生入場の際の拍手は禁止、退場の際には盛大な拍手を
5番の取り決め事項を除いて、思わず「子供かっ!」って突っ込みたくなるような注意事項ばかりで頭痛がしてきますが、注意したにもかかわらず式中に携帯が鳴っていたので推して知るべし。
以前中学校の卒業式に出た時に聞いた校長先生の餞の言葉に違和感を覚えたことを書きました。
今回の校長先生の餞の言葉は感動的という種類のものではありませんでしたが、現実的でちゃんと子供たちが受け止めればじわじわと効いてくる地味にいい言葉でした。
それは「言葉は心」というお話。
ざっくり掻い摘むと、優しくてきれいな言葉を使う人の心は優しくてきれいな心になり、意地悪で汚い言葉を使う人の心は意地悪で汚い心になる。
心がギスギスしてしまったり、対人関係で悩んでしまったときにはこの「言葉は心」という言葉をぜひ思い出してほしい。そうすれば周りの人や嫌な相手のことを思いやる気持ちになれる...というもの。
ざっくり掻い摘みすぎて意味が繋がらない感じがあるのは、校長先生のお話のせいではなく全部僕のせいです。
この餞の言葉っていいなって素直に思えました。
努力を強制する努力万能論のような陳腐さがなく、無駄な努力に子供たちを駆り立てるでもなく、きれいな言葉を使おうと呼びかける態度の単純だけど現実的な姿勢。
嫌な言葉やひどい言葉をぶつけられてつらいときに、ネガティブ思考に陥らないための逃げ場にもなります。もちろんいまどきの子供たちですからネット上を飛び交う言葉の暴力に染まらないでほしいなって思いもあります。
「言葉は心」って言葉を本当に心に刻めば、どんなに腹が立っても「〇〇死ね」なんて言えないよ。
決して感動で涙を流すという類の話ではありませんでしたが、奇をてらわないこういう地道な言葉を子供たちに贈るという姿勢に好感が持てました。僕は何ゆえ上から目線...
そして卒業式に参加していて思ったのが僕らの頃に比べると、いやそんな昔と比べなくても上の子供の小学校の卒業式のときと比べても、泣いている子供たちが少ないなあってこと。
泣いている子は確かにいるのですが、割合がほんと少ないんですよ。
なんでなんだろう?って思って娘に聞いてみたら、ほとんど全員が同じ中学校にそのまま行くからってことらしいです。小学校は卒業しても中学校でまた同じ顔ぶれなんだから別に悲しくないと。
そりゃそうだよね。だけどけっこうみんなリアリストなのね(^_^;)
そして泣いている子は、通学区の関係でみんなとは違う市立中学校に行くことになる数人の子供たちと、中学受験に合格して私立中学に行く子供たちだけなんだそうです。
いまどきの小学校では珍しいんじゃないかと思うほど私立中学の受験をする子供たちがほとんどいない、そしてほぼ全員が同じ通学区の市立中学に進学するというこの小学校ならではの光景なのかもしれません。
今は泣いている私立中学校進学組の少数派が将来は余裕の笑みを浮かべ、逆に現在お気楽にへらへらしている僕の娘を含めたその他大勢の泣いている姿が一瞬目の前に浮かんでゾッとしたのはここだけの話。
いわゆる「いい学校」に行くだけが幸せではないしさ。
今はいろんな背景を持った様々な友達と一緒にたくさん遊んだり喧嘩したり勉強したりしてほしいと思うんだよね。僻みでも強がりでもなくて。
そのうち、いやでも周りは似たような人たちばかりが増えていくのだから。
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