2008年公開のアメリカ映画。
主演はあのミッキー・ロークだ。
僕にとってのミッキー・ロークは、1980年代の超かっこよくてセクシーな男の代表格だった。彼が持っているものを何ひとつ持っていない僕の憧れのスターだった。
その後のボクサーへの転向、猫パンチと揶揄されたボクシングの試合や整形手術、激太りなどの話題は辛いものがあったが、実のところ今でもミッキー・ロークは、僕にとってナインハーフのジョン・グレイであり、エンゼルハートの探偵ハリーであり、死にゆく者への祈りのマーティンなのである。顔はずいぶん変わっちまったけど。
そんなミッキー・ロークが、80年代に全盛期をむかえて活躍したかつての名レスラー役を演じて話題となったのが、この「レスラー」という作品だ。
ミッキー・ロークの俳優としての実際の栄光と挫折の姿と、役上のプロレスラーであるランディの姿がダブって見えることでも評判となったこの作品、第65回ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を受賞したほか、第66回ゴールデングローブ賞主演男優賞及び歌曲賞を受賞。受賞は逃したものの、第81回アカデミー賞にも主演男優賞と助演女優賞にノミネートされた。
ストーリーはいたって単純である。
1980年代に栄光を極めた人気プロレスラーだったランディ(ミッキー・ローク)は、すでに全盛期を過ぎ去り、現在はローカルなプロレスのリングに週末だけ上がってわずかなファイトマネーを得ながら、平日はスーパーでのアルバイトをしてトレーラーハウスで独り暮らしの身。ボロボロの肉体を酷使しながらも、過去の栄光を忘れられずにいる。
実際には栄光も金も家族の愛もすべて失い、端から見れば惨めな生活をおくっているのだが。
それでも、プロレスの舞台に立つことができればまだよかった。筋肉を維持するためのステロイドなどの薬物の長年の摂取により、ランディはある日試合後に心臓発作で倒れてしまう。心臓バイパス手術を受けるほどの重症である。
医師からは、もうプロレスをすることは無理だと告げられてやむなく引退を決意。
むかつく上司に頼んで、フルタイムでスーパーで働くことにした。
意気消沈したランディは、なじみのストリッパーに告るも見事玉砕。
疎遠になっていた娘ともなんとか関係を修復できそうだったのに、コカインをキメて見知らぬ女とのセッ◯スに溺れたせいで、約束をすっぽかしてしまい愛想を尽かされる。
もう自分にはプロレス以外に何も残っていないと悟ったランディは、爆弾を抱えた心臓でファンが待つ試合のリングに立つ。
と、まあこんなストーリーだ。
ボクシング作品であれば、この最後の試合で見事相手をノックアウトして、栄光の道にカムバックっていうのが王道だが、そこはプロレスの世界を描いたこの作品。
そんな王道はとても歩けない。
控え室では試合の段取りや試合内容の打ち合わせがレスラー間で行われ、リングでは口汚く罵り合う相手とも控え室ではお互いを称えあう仲間どうしという、そこまでショービジネスの部分を見せちゃっていいのか?ってくらいプロレスの裏側を赤裸々に描いている。
ついでにいうと、筋肉増強剤などの薬物取引の場面なんかもある。
これでは「絶対勝てないと思われていた試合に奇跡的な勝利をおさめて見事カムバック!」という王道の結末を迎えたところで誰も感動しない。
だって打ち合わせどおりだろ?ってね。
そこで注目されるのがランディの人生そのものである。
不器用で愚かだけど、人生のすべてをプロレスにかけてきた男の生き様をミッキー・ロークが見事に演じきっている。
本当にダメ親父で、不器用で、だけど実は寂しがりやで心優しき男ランディ。
スーパーでのルーチンワークに嫌気がさして、自分の手をチーズスライサーにぶつけて血だらけになりながら激昂して仕事を辞めるランディ。
偉そうにしてんじゃねえ!俺は辞めてやる。チーズが欲しいって?てめえで取りやがれ!うんざりだ!辞めてやる!
試合に出たらたぶん死ぬだろうということはわかっていても、そこにしか自分の居場所がないことをいやというほど気づいてしまったランディのセリフと、入場曲として流れる80年代の名曲 Guns N' Roses の「Sweet Child O' Mine」が泣ける。
俺にとって痛いのは外の現実の方だ。もう誰もいない。ほら、あそこが俺の居場所だ。行くよ。
ボロボロの身体を酷使し、止まりそうな心臓の痛みに耐えながら、それでもランディはファンサービスを忘れない。
ランデイの体調を心配した相手のレスラーの「ほら!もういいから早くフォールしろよ」という言葉には耳を貸さず、最後は自分の必殺技である「ラム・ジャム」を決めるためにフラフラになりながらもリングコーナーからダイブする。
そんな衝撃に耐えられる体はもう持ち合わせていないのに。
この作品、ストーリーが単純なだけにミッキー・ロークの主演なくしては成立し得ない作品である。
当初はランディ役としてニコラス・ケイジがキャスティングされていたという話だが、彼ではここまでの感動作となったかどうか。
ミッキー・ロークのやさぐれた中年男の、人生に倦み、疲れはてたような気持ちがにじみ出ている演技がなくてはこのドラマは成り立たない。少なくとも僕はそう感じた。
そして、そんなランディが自分の唯一の居場所であるリング、それも唯一の友であり家族であるファンの声援を全身に浴びるリングに殉じようとする姿に感動するのである。
それにしても、あの場面で Guns N' Roses の Sweet Child O' Mine は反則だ。
プロレスやミッキー・ロークのファンはもちろん、80年代を駆け抜けたおっさんにもおすすめな泥臭い作品である。
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