こんにちは! @kun_maa です。
大津の事件で、学校でのいじめ問題に注目が集まっています。
多くの人が心を痛め、様々な意見が飛び交っています。
いじめと呼ぶにはあまりにも酷い実態が報道で明らかにされるとともに、ネットでは加害少年の情報やその両親、親族などの情報がまるでそうすることが正義だと言わんばかりに晒されています。
加害者も被害者も少年です。
そして、日本は法治国家です。
被害者の人権を踏みにじったから、加害者の人権を踏みにじってもかまわないという考え方には賛同できません。
どちらの人権も同じように守られるべきだと僕は思っています。
なによりも事実をはっきりさせることが重要であり、加害者は、被害者を死に至らしめるほどのことをした責任をしっかりととるべきだと思います。
しかし、当事者でもない人間が、正義の味方よろしく周辺事情をおもしろおかしく暴きたてることには嫌悪感さえ覚えます。
今回の事件では、多くの証言が「傍観者」であった生徒たちから明らかにされています。事実の解明には必要なことでしょう。
でも、傍観者も加害者です。
多くの証言が、免罪符のように使われるとしたら、それはちょっと違うんじゃないかなと思います。
ましてや得意気に自分が傍観していたことをテレビに向かって喋れる気持ちは理解できません。
今回の報道を見ていて、僕が被害者の父親だったとしたらどうだろうとずっと考えていました。
自分の子供が今回の事件のようにある日突然死を選んでしまったとしたら、僕はきっと自分を責めるでしょう。
学校や教育委員会がやり玉にあがっていますが、学校の教師にとって、それがどんなに熱心な教員だとしても、自分の子供は多くの子供の中のひとりにすぎないです。
自分の子供の変化は、親が一番わかっていなくちゃいけない。
子供がどんなに隠そうとしたって、わずかな変化を感じ取るのが親の責任だと、僕は考えます。
だから、僕が被害者の親だとしたら、自分の子供を守ってやれなかったことを一生悔やみ続けると思います。
僕は、いじめ問題に詳しいわけでも、自分の子供がいじめの当事者でもありません。
でも、誰の子供にも死を選ぶようなことはしてもらいたくありません。
生きていれば必ずいいことがあるなんて、無責任に語ることもできません。
だって、生きていくのは大変だって思っているから。
それでもやっぱり、生きて欲しいです。
いいことがあるとかないとか、希望があるとかないとか、充実しているとかいないとかそんな結果は関係なく、とにかく自分の人生を精一杯生きて欲しい。
そのための助言やヒントに満ちたメッセージがあります。
朝日新聞の過去の連載「いじめられている君へ」「いじめている君へ」です。
28人の大人たちがそれぞれ、子供たちへの思いを込めたメッセージを書いています。
いま、改めて読んでもまったく色あせていません。
子供がいる人もいない人も、大人にも子供にも多くの人に読んで欲しい、そして考えて欲しいと思います。