[ま]当日予約なし検査OKな肛門病院で初めての大腸内視鏡検査 @kun_maa
先月から量は多くないのだけど時々下血することが続いた。
痔主でも女子でもない僕にとって白い便器やペーパーに赤い血という組み合わせは非日常的なものだ。
しばらくは出血を見つけても見なかったことにしてやり過ごしていた。
現実逃避である。
人は自分にとって非日常的なことには目を瞑り見たいものだけを見ることができる生き物なのだ。
それでも無意識は誤魔化すことができずじわじわと僕の心を蝕んでいく意識下の恐怖。
先週末に3日連続で下血があり、恐怖が表面化して一気に浮上してきた。
これはもしかしてかなりヤバいんじゃないかと。
ちょうど時を同じくして腰痛も続いていたので、これはいつもの腰痛ではなくて大腸の病気が影響している痛みなのでは?という不安がわき起こる。
ちょっと前に友人から疲れた顔をしていると言われたことや頻繁に起こる立ち眩みや最近顔色が悪いと思ったことなど全てが重大な病に結びついているような気がしてきた。
最早完全に疑心暗鬼の塊である。
性格がネガティヴな上にチキンなのでこんな状態で思い煩っていると、それだけで大腸どころか心身全てが病気になってしまいそうだった。
このままではダメだと思った僕は、こうなったら独りで悶々としていないで、白黒はっきりつけてやろうじゃないか!と鼻息荒く叫んだ。
近辺で検査ができる病院をネットで探し始めたのだが、当日いきなり内視鏡検査ができる病院ってなかなかないのな...
ようやく見つけたのが「所◯肛門病院」というファンキーな名前の病院だ(◯は伏字であって肛門の象形じゃあないよ念のため)。
この病院なら事前予約なしでも当時の朝10:00までに朝食を食べずに行けば即日検査が可能らしい。
肛門を前面推しの名前だけど大腸も専門のようなので名前に惑わされることなく突撃することにした。
窓口で初診であることを告げると問診票が渡された。
問診票で問われているのはかなり肛門寄りな質問ばかりだ。
そりゃもう肛門病院だからしょうがないか。
僕は肛門に異常を感じてなかったので、肛門は痛くないし切れてないし飛び出てもいないし痒くもないと答えるしかなかった。
僕の症状に直接関連しそうだったのは3問くらいか。
窓口で問診票を提出するときに可能ならば今日大腸内視鏡検査をしたい旨を伝えると、診察の際に医師にそう言ってくださいとのことだった。
待合室で待つこと30分くらい。
名前を呼ばれて部屋に入るとそこには見慣れた内科などの診察室とは違う風景が広がっていた。
患者用の椅子はなく目の前には簡素なベッドだけがある。
看護師からいきなり「ズボンを脱いでください」と言われた。
さらに畳み掛けるように、尻をむき出しにして右側を下にベッドの上に横になるようにと言われた。
そうここはやはり肛門病院。
診察といえばもちろん診るのは肛門なのだ。
聴診器なんて使わないし脱ぐのは上半身ではなく下半身。
戸惑いを隠せず動揺したまま半ケツ出して寝ている僕に対して医師が気軽な感じで「それじゃ指入れて診ていきますねー」ってさ。
ぐいぐい肛門を触診された後は器具を突っ込まれてぐわっと広げられて何やらよく観察されたような...まあ恥ずかしいっすわ。
肛門の診察がひと通り終わった後に、僕の症状について問診票に従って医師から質問がいくつかあった。
肛門に異常が見当たらずそういう状態なら内視鏡検査しましょうということになった。
検査待合室に移動して下剤の入ったピッチャーとペットボトルの水を渡された。
ピッチャーの中には約1リットルの下剤。
これを40分間で飲み干すようにと指示があった。
飲み方は下剤をコップ1杯飲むごとに水をコップ半分飲むというもの。
下剤と水を合わせて全部で1.5リットルだ。
ビールなら余裕だけど下剤1.5リットルってどうなのよって思いながら恐る恐る飲んでみると梅味の蜂蜜ドリンクみたいな味わい。
それなりに美味しいからこれなら大丈夫。
検査待合室は下剤を椅子の横のテーブルに置いて時々コップに注いで飲みながら本を読む人、テレビを観る人、動き回る人たちで占められている。
動き回っている人たちは落ち着きがないからというわけではなく、動き回ると下剤の効きがよくなるからということだった。
待合室にいたのは全員が大腸内視鏡検査待ちの人たちで人数は20人弱。
その8割方はいわゆる老人に分類される人たちだった。
最初のうちは静かな待合室もみんなに下剤が効いてくるにつれてわさわさとしてくる。
待合室の隣には男女共用で個室が6つほどあるトイレがある。
初めは「え?男女共用なの?しかも横並びかよ」って少し恥ずかしく抵抗感があったのだけどそんなものはすぐに慣れてしまう。
だいたいにおいて8割方が老人たちなのだから男も女もミソもクソも一緒って感じでみんな気にしないのだ←
このトイレへの往復は人にもよるのだけどだいたいみんな7〜8回くらいは行ってたかな。
そのくらい行かないと全部出し切って腸の中がきれいにならないらしい。
腸内がきれいになったか否かの判断は、トイレで出した便を流す前に看護師さんを呼んで直接確認してもらうことで行う。
看護師さんが我々が下剤を飲んで出したものを確認してOKしてくれないと内視鏡検査はできないのだ。
この時に確認してくれる看護師さんが若い女性だったのでこれは一体どういった類の羞恥プレイなのだろうかと羞恥心で顔が赤くなってしまう。
しかし恥ずかしいなんて気持ちもすぐに消えてしまうのだよ哀しいけれど。
初めは顔を赤らめて「すいませ〜ん、確認お願いします」なんて蚊の鳴くような声だった僕も、堂々と声を張り上げて看護師さんを呼び、一緒に個室で便器を覗き込みながら「う〜ん、色がまだちょっとですねー笑」なんて笑いあうようになってた。
羞恥心を失くすって怖いね。
そうこうしているうち次第に看護師チェックをクリアして内視鏡検査へと旅立つ老人たちを尻目に僕は途中から便意を喪失してしまった。
このままだとダメかもしれませんねという看護師の言葉に仕方なく200mlの下剤を追加してもらってぐいっと一息にキメて再びトイレの往復運動へと加わった。
なかなかすんなりとはいかないものなのだ。
結局、午前中にはクリアできずに残ってしまった人たちが約半数くらい。
これって割合的にどうなんだろうかという疑問を抱きつつ僕もその中の1人だった。
それでも僕はまだいい方で、昼休み中に看護師チェックをクリアしたから午後1時からの内視鏡検査にエントリーできた。
それにしても昼休み中でも受診者が下剤で出した物のチェックをしなければならない看護師さんほんと大変だなあ。
(閑話休題)
午後イチの検査で名前を呼ばれていよいよ検査室へ。
診察と同じように、ズボンを脱いでベッドに尻を突きだすようにして膝を曲げて横たわれと指示される。
横たわるとすぐにバスタオルのようなものを掛けられてパンツをずりおろされた。
やっぱりちょっと恥ずかしい。
丁寧な口調でやさしく検査の説明をされてから「それではよろしくお願いします」の言葉とともにぐぐぐっと肛門んから侵入しようとする内視鏡。
「体の力を抜いて!ふーふー」って看護師が言うので、僕は「ひっひっふー」と呼吸しながら力を抜いた。
すると多少の抵抗感の後、ずぶぶぶぶするするるると内視鏡が肛門を突破して腸の中に入ってきた。
胃カメラに比べたら「おえぇぇぇぇえ」ってならないだけ全然余裕である。
モニターを見れば自分でも大腸の中を見ることができる。
画面を見ながら説明もしてくれるので、腸の中を動き回る内視鏡の触感と空気を入れて腸を膨らまされる違和感を除けば、まるで何かのアトラクションのように思えてちょっと楽しくなってくるから不思議だ。
内視鏡が腸内のカーブを移動するところなどはぐりぐりする感触がダイレクトに伝わってきて、エイリアンに寄生されて幼生態に腹の中を動き回られたらこんな感じなのかなって思ってた。
内視鏡検査自体は15分ほどで終わる。
肛門から遡って小腸と大腸の境目まで内視鏡を進入させてから、また戻るところでじっくりと腸内を調べていく。
結局僕の大腸内には腫瘍や潰瘍はなく、ポリープも2㎜程度の小さなものが2個あっただけで、自分で言うのもなんだけどとてもきれいな大腸だった。
ただ2か所だけ炎症を起こしている部分があったので組織を採取して生検を行うことになった。
内視鏡から伸びるアームのようなもので炎症を起こしている腸壁の組織をプチっと摘み取るたびに出血するのが見えた。
きれいな大腸の様子を見て安心していた僕はこのプチっとするの1回でいくらかかるのかなってぼんやりと考えながら見ていた。
検査結果はその場で説明してくれた。
特に異常はなく、下血は炎症部分から或いは過敏性大腸炎の症状かもしれないということだった。
最後に支払いを済ませてすべて終了。
会計は健康保険適用で3割負担の額が1万円ちょっと。
内訳をみると生検をしなければ6〜7千円くらいで済んだようだった。
検査中はかなりの空気を腸内に吹き込むので検査中はもちろん、終わった後にもおならがプープー出るのいと恥ずかしって感じ。
きっと重病だ...もしかしたら死んでしまうのじゃなかろうかと割と本気で思っていた朝と比べるとまるで心の重さが違う。
軽やかな気分でスキップしながら僕は肛門病院を後にした。
生検の結果は2週間後だけどまあ心配ないだろうという自己判断で帰りにお祝い兼ねてバカ食いした。
たぶんそのせいで翌日体調が悪かったのはここだけの秘密。
おしまい!
[ま]マタニティマークとおじさん @kun_maa
席がガラガラに空いていて自分だけ立っているとどうにも不自然だなってときや、体調が悪いときにしか僕は電車で座ることがない。
その例外が朝の通勤電車。
始発駅から乗車できるので、最寄駅から乗換駅までは今の職場に通うようになってから毎朝座っている。
少し前までは毎朝同じ場所に乗っていたのだけど、汗かきおじさんや図々しい爺さん婆さんとの攻防、インド系の人々の発する香辛料の体臭に疲れてしまったので、現在はちょこちょこと乗る場所を変えている。
通勤電車でいつも同じ席に座ってるんだけど今朝は折返し乗車しやがった婆さんにその席を取られた。腹立つなあ◯ねよって思ったけど、その席で僕の隣には毎日インド系の男たちがわらわらと座ってきておしゃべりの喧騒とカレー臭に包まれるのだ。(続く)
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
(続き)婆さんもその洗礼を受けろや!ざまーみろってちょっとワクワクして待ってたらいつもの席が空いてるのにインド系の男たちが僕の周りにわらわらと座ってきた…なんで?君たち僕の仲間?友達?
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2019年12月9日
席に座ったときは本を読むかスマホでドラマや映画を観るか目を瞑って音楽を聴いているかという過ごし方の僕はいずれにしても周囲に目を配ることはない。
ただ隣に座った人の動きには敏感だ。
それは隣の奴の肘が当たったとか貧乏ゆすりが酷いとか咳がうるさいとか鼻くそをほじっているとか落ち着きなく動いているとかそんなことだ。
そういうことが気になって嫌な気分になることが多いというのも僕が電車の中で座りたがらない理由でもある。
それはいつもの通勤電車の初めて座った場所でのこと。
僕が乗り換える駅のひとつ手前の駅に到着したときのことだ。
隣に座っているおじさんが急にきょろきょろしだして挙動不審。
うざいな...
あまりに動くので「居眠りでもして自分がいまどこの駅にいるかわからなくなったのか?」ってちょっと小馬鹿にした眼差しで様子をうかがっていると、このおじさん急に立ち上がった。
「ああ、やっぱりそうかいまから慌ててこの駅で降りるのか。ドアに挟まってしまえ!」と思った刹那、今しがたこの駅から乗ってきたと思しき女性に合図して席を譲ったのだ。
そしておじさんは少し離れた場所に移動してなにごともなかったようにつり革につかまった。
席を譲られた女性は会釈しながら小さな声でありがとうございますと言って僕の隣に腰を下ろした。
おじさんと女性はそれ以上会話などなく、特に知人という感じでもなかったので不思議に思い僕の隣に座ったその女性の方をチラッと見たらバッグにマタニティマークのキーホルダーが揺れていた。
マタニティマークは知っていたけど通勤電車で実際に見たのは初めてだった。
いや、今までも周囲にいたのかもしれないけど全く気付いていなかっただけかもしれない。
そのおじさんが周りに無関心な僕とは違って乗車中は常にマタニティマークをつけている人を気にしているのか、それとも毎日同じ場所に乗ってくるその女性に毎回席を譲っているのかそれはわからない。
これが普段あまり電車での態度や行動にいい印象のない爺さん婆さんたち(ごめん)に席を譲ったのなら僕はたぶんなんとも思わなかっただろう。
だけど僕が今まで存在は知っていたけど気にしたことのなかったマタニティマークの人に対して、自分の隣に座っていた僕より年上そうなおじさんがサッと席を譲ったのだ。
軽く衝撃だった。
ボーッと生きてんじゃねーよ!だった。
なんとも言いようのない罪悪感のようなものが心の中に沸き起こってきたけど最早どうしようもない。
すでに席は譲られたのだ。
罪悪感のようなものの後に感じた同じおじさんに対する敗北感にも苛まれながら僕は隣駅でうつむきながら電車を降りた。
せめて次は次こそは迷いなく立ち上がってマタニティマークの女性に颯爽と席を譲れるようになろうと、爺さん婆さんには決して席を譲ったことのない僕は思った。
席を譲る行為の対象に対するこのモチベーションの違いはなんだろうかと訝りながら。
そんなちょっと苦い昨日の朝の出来事を忘れないように書いておこうと思った僕はこうしてブログに書いているわけだけど、今朝は同じ状況になるのが恐くて違う場所に乗ってしまった。
そういうとこだぞ。
これだから僕はいつまでたってもダメなのだ。
[ま]仕事酔い @kun_maa
とっくの昔に明けてましたおめでとうございます。
年明け最初のお仕事Weekがようやく終わりましたね。
僕は今週4日間しか働いてないけど、それこそ永永無窮が如くとても長く感じた4日間。
というのも12月は勝手に有給休暇消化月間と決めて、毎週欠かさず必ず1日は有給休暇を取得した上、年末年始は11連休だったものですからそりゃもう言わずもがなです。
それでもずっと働かないわけにもいかず無我の境地で臨んだ本年初出勤1月7日。
朝にはこんなことをつぶやいていましたが...
11連休後の初出勤
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2020年1月6日
それに加えて先月は有給休暇消化でちょこちょこ休んでたからもうまともに働ける気がしない
っていうか仕事すっかり忘れたよ…
いざ仕事を始めてみると意外とシャキっとするもので...
もう仕事忘れてしまった…と思いながら出勤したけど自席に座ったら記憶がさくっと蘇り部下への指示も戸惑うことなくできるから人ってすごいな でも久しぶりにスーツを着たせいか首や肩が凝ってしまってもう気持ち悪い帰りたい🥱
— Maa(หมา) (@kun_maa) 2020年1月7日
Tweetの中でふれたこの気持ち悪さについては、久しぶりに着たスーツのせいかと思いきや、どうやらそれだけではなかったようで、肩こりの元凶と思しき上着を脱いで仕事をしてもどんどん気分が悪くなっていきましてん。
この日はもちろん定時で仕事を片付けたのですが、帰ろうとする頃にはなんだか目が回る感じで吐き気までしてきまして、少し職場で休んでから帰宅の途につくというポンコツ感。
なんだろうなぁ気持ち悪いなぁ病気かなぁまさかインフル?そういえば節々が痛いような気がしてきた...なんて感じでぐったりしながら帰りの電車。
一度だけヤバい吐き気に襲われて途中下車してトイレに駆け込みましたが、幸いにして実際に吐くには至らず。
当日は気圧が急降下していたので、自律神経系がデリケートすぎて豆腐のように繊細なため、きっとその影響もあるには違いないのですが、僕が思うにこれはたぶん「仕事酔い」。「仕事酔い」って今思いついたんですけどね。
自堕落な生活に慣れ親しみ酒に酔い続けた日々からの急な労働に体がびっくりしたのでしょう。飲みすぎてアルコールが分解できないように、ダラケきった体は疲労を解毒できなかったのでしょうよ。
三半規管が急激な気圧変化で弱っているところに突然の仕事始めで諸々消化しきれずぐわんぐわんに揺さぶられてもうお腹いっぱいおえぇぇえって感じ。
帰宅してすぐに風呂を沸かしてじっくりと湯船に浸かって温まり、サクッと21:00前に寝たところ、真夜中と明け方に悪夢に魘されたもののなんとか回復。
翌日も夕方頃には再び「仕事酔い」に襲われたものの、仕事量が多いわけではないのでなんとか乗り切り、その後は次第に平常運転へと体が慣れてきた感じ。
今日の帰りはちょっとクラクラしたけどさ。
酒も仕事も急に取り込むと体がびっくりするんだよねきっと。
禁酒の後のアルコールが妙に回るように無為自堕落な日々の後の労働は目が回る。
まあそんなわけで無理しないで行こうぜって思ったよね。
そんな新年。
[ま]背中をやさしくさすって @kun_maa
今年も人間ドックを受診してきた。
比較的大量に飲酒をする傾向にあるので、ここ数年は胃カメラでの検査をしている。
口から入れるのはきっと無理なので鼻からカメラを入れているのだけど、楽だと言われている鼻からの検査でさえ、バリウムに比べると涙が出るほど苦しい。
たとえ苦しくても映像で直接見えるというのは検査として格段の安心感があるから続けている。
検査中に医師が僕にも映像を見るように促しながらリアルタイムで説明をしてくれるから、見ようと思えば食道から胃を通って十二指腸までじっくりと自分の腹の中を観察することも可能だ。
医師にいろいろ話しかけられても、喉に管が通っている違和感で声出せないし、もう本当気持ちに余裕がなくてそれどころじゃないから、説明内容も全く頭に入ってこないけどさ。
人一倍緊張しいなので、今回も検査前の鼻への麻酔の段階ですでに吐き気に襲われてひとりえずき続ける情けない自分に震えながら検査を待つ時間が永遠に感じたね←ビビりすぎ...
実際に胃カメラを鼻から挿入されて検査が始まると麻酔が効いているとはいえ、さらに激しくおえぇぇぇえってなってしまうし上半身にめっちゃ力はいって余計に苦しい。
まさに苦しみの絶頂!
そんなときだ。
背中をやさしくさすって「大丈夫ですよ」って天使のような声が聞こえてきたのは。
じわーっと力が抜けて明らかに楽になった。
背中に感じる手のひらの温もり以上にさすられることに何の効果があるのだろうか、とても安心して気持ちが癒される。
やさしく背中をさする手は時々とんとんと授乳後の赤ちゃんのげっぷ出しのように軽やかにリズムを刻んだりもする。
ちょうど胃の中に空気を入れて膨らませているところにこのとんとんだ。
げっぷを我慢してくださいと医師に言われながらのやさしいとんとんだ。
これぞ快感と言わずして何が快感だろうか!
看護師さんに背中をさすられて、あるいはとんとんされて、幼い頃の想いが記憶の深い沼から掘り起こされていく。
すっかり忘れていたようなことや考えることをやめていたこと。
背中に染み込んでいたいろいろな記憶が溢れ出してくる。
僕は感極まって泣いてしまいそうになった...いや泣いていた。だって胃カメラが苦しくて涙出てたから。
なんだか甘く懐かしい感覚。
もうずっと胃カメラが続いてもいいからこのまま永遠に背中をやさしくさすっていてくださいって混濁した恍惚感。
もっと背中をとんとんしてほしかった。
生きることに疲れる日々の生活の中でやさしく背中をさすって大丈夫だよって言ってもらえたら大抵のことは乗り越えられるんじゃなかろうか。
手のひらで触れられて呼び起こされる安心感ハンパない。
手のひらパワーすっげーなって思った。
幼児プレイや赤ちゃんプレイに惹かれる人の気持ちがほんの少し分かったような気がしたハーイ!バブー!←
僕も人の背中をそっとさするような安心感と癒しをあたえられる立派なオトナになりたいものだ。
他人の背中を勝手にさすったら逮捕されるけどな。
あゝなんという抽象の純粋さと具体の卑俗さよ。
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[ま]最近観た映画の断片的な感想など拾い集めて @kun_maa
映画が好きで今でも暇があればちょいちょい観ています。
それでも以前のようにブログで映画の感想を長々と述べる気力というか体力というか意欲のようなものに欠けていて、映画を観た後にはそれぞれ思うところはあるのだけれど、それをなかなか自分の言葉や文章で残しておくということができていない。
せいぜいTwitterでつぶやくかモレスキンにメモを書き留めておく程度なんですな。
たまにはそんな断片的な感想のようなものをお蔵出し的な感じでつらつらと書いてみようかなと思うのです。
ジョーカー
言わずと知れた話題作。
僕は作品の内容よりもホアキン・フェニックスの「笑い」の演技に魅了された。
こんなにも悲しい笑いは見たことないってほどの胸が苦しくなるような切ない笑いから、狂気に染まって恐怖を感じる笑いまで同じように笑っているのにその使い分けからアーサーの心情の変化が押し迫ってくるようで心が震えた。
その一方で作品そのものには特段すごいと感動するということもなく、まあ普通の作品じゃないかとしか思えなかった。
主人公のアーサーの行動にも全く共感できなかったし。
話題作に対して何様だよ偉そうにって言い方で申し訳ないけれど。
自分の心が傷つけられたから、人生が思うように上手くいかないからって他人を殺していいのかと。
こんな八つ当たり的な復讐が許される社会とかヒャッハー過ぎてちょっと勘弁してほしいって思った。
ジョン・ウィック:パラベラム
キアヌ・リーヴス演じる元殺し屋がすんばらしくかっこよくて好きになった作品。
Chapter 2でちょっと「あれ?」ってなったものの、きっと今作で諸々バシッと決めてスッキリ終わらせてくれるのかと期待してましてん。
それがChapter 4に続くってどういうこと?ズッコケましたよ。
いっそのことChapter 2で終わってしまってもよかったよねって感じ。
魅力的だった過激なガンファイト&カンフーアクションの組み合わせもやや食傷気味になったし、ニンジャが出てきた日にはマジでとほほ...ですよ。
あまりにもコメディ度が上がりすぎて困惑だよ。
第1作目が一番面白いっていう映画の典型だなあって感じ。
ターミネーター:ニュー・フェイト
T2の正統な続編って売り込みが期待値のハードルを上げちゃってるよね確実に。
T2以降のこれまでのシリーズ作品に比べて酷い作品だとまでは思わないけれど、後出しジャンケンでこれかよ感は否めないっす。
観ているうちにいろいろモヤっとしてしまって劇場で所々ボソッとツッコミいれてました僕にしては珍しく。
T2の正統な続編というキャッチフレーズの作品で、ターミネーターシリーズはやっぱりT2で終わりでいいかなって改めて思い知らされるという喜劇。
アド・アストラ
これはもうすっかりまんまと予告編に騙されたやつ。
宇宙を舞台に陰謀や謎の地球外生命体が絡み合って予想外の広がりを見せるようなSFスペースアクションかなーと勝手に思い込んで観に行ったのですよ。
冒頭はちょっとそんな感じあってワクワクしたけど全然違ったから。
予想外は予想外だけどあんな個人的な親子間の超私的なお話をあえて宇宙を舞台に見せる必要あるの?ねぇ本当にあるの?なんなの?ってなったから。
びっくりしたよもう。
感想を抜き出してみたら、なんだかこの作品よかったよってのがひとつもなくて笑える。気にくわないことしか書いてないじゃん。
せっかくだから最近観た映画でおもしろかったのもひとつ取りあげよう。
勝手にふるえてろ
劇場公開は2年ほど前の作品だけど。
さっき取り上げた4作品に比べたら全然お金かかってないだろうなあっていう邦画。
たぶん好き嫌いが分かれる作品だなって思うんだけど、内向的な性格で妄想癖のある人にはきっと共感してもらえると思う綿矢りさ原作の作品。
僕はとてもぐさっと刺さってしまい「むむむむわかりみが過ぎる...」って変な汗が出まくるほどおもしろかった。
松岡茉優がとっても可愛くて切なくてそりゃもう勝手に震えてしまうのだよ。
最後のセリフに痺れたなああああ。
他にもいろいろ観たけど久しぶりに書くブログは思いのほか時間がかかってしまったので今日はこのへんで。
いやー映画って本当にいいですね。
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[ま]Facebook がリマインドする @kun_maa
Facebook が「◯年前 この日の思い出を見る」ってタイトルで時々タイムライン上にレコメンドしてくるやつがウザくて嫌いだ。
過去は振り返らない男なんだぜってかっこつけているわけでも、感情なんてないくせに人間様に思い出を押し付けてくるなんて不届き千万なんて憤っているわけでもない。
いちいち最上部に表示される画面が煩いってだけ。
先週末に風邪をひいた。
おかげで3連休は病院と食糧の買い出し以外は外出することなく引きこもりほとんどの時間を布団の上で過ごした。
症状としては喉の上部の痛み → 鼻水 → 咳 → 気管支の炎症 → 発熱と僕にとっては正統派な風邪の経過を辿ったので、インフルエンザではなく間違いなく通常の風邪という自信はあったのだけど、それにしてはなんだか以前よりも症状が重く感じて、もしかして身体が弱ってるのかな、衰えたのかな、やはり加齢には勝てないのかな...などと忸怩たる思いを抱えて憂いていた。
そんな時に Facebook のタイムラインに例のレコメンドがあったのだ。
それは「5年前 この思い出を見る」という次のようなもの。
そして翌々日には4年前の投稿が次のように表示された。
僕自身はすっかり忘れていたけれど、これによれば僕は以前からこの時期に風邪で寝込んでいたようだ。
身体が最近急に衰えたのではなく少なくとも5年前からずっとポンコツだったわけだ。
その事実はそれはそれでなんだか切ない気持ちにさせられたけど、本人が忘れているそんなことを自動的に思い出させてくれた Facebook なんだよ good job じゃねーか。
今までほんと邪魔くさいな煩いなって感じていた「◯年前 この日の思い出を見る」ってやつとなんだかほんの少し仲良くなれそうな気持ちになった。
なんなら毎日思い出に浸らせてくれてもいいんだぜって感じ。
たぶんそうなったらなったで Facebook の「◯年前 この日の思い出を見る」がウザすぎるってブログを書くと思うけどさ。
そしてこんな投稿をしていったい何の意味があるのだろうかと時々感じる良心の呵責にも似た胸の痛みに対して、たとえ今は何の意味もなくても、◯年後に儚い僕の記憶を補うリマインダーとして不意に役立つこともあるんだからね!って胸を張ってくだらない投稿を続けようという思いに駆られるわけなのです。