[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]なんでも商売にすることがいいことなのか/それをお金で買いますか @kun_maa

こんにちは!その感動・・プライスレス @kun_maa です。
 
僕たちはいつの間にか、あらゆるものがカネで取引される時代に生きています。
 
民間会社が戦争を請け負い、臓器が売買され、炭素排出量は取引の対象となり、生命保険も売買されて投機の対象となっています。
 
また、インドの代理母による妊娠代行サービスやアメリカへの移住権、絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利でさえ商売として成り立っています。
 
経済学者の言う市場の論理からは、こうした取引には何も問題がありません。
だって、売り手と買い手が合意していて、どちらにもメリットがあるからです。
 
でも、やっぱり何かおかしいんじゃないの?と著者は問いかけます。

 
 
著者は「これからの『正義』の話をしよう」やハーバード白熱教室でおなじみの、マイケル・サンデルです。
 
著者は、社会において市場価値が生活のあらゆる部分に入り込み、人々の生活を変え、今まで機能していた非市場的価値が押しやられている様子を、多くの研究結果や実例を取り上げて示しています。
 
市場的価値が生活のすべてを支配することの問題は大きく分けて2点。
 
1つは不平等や公平性にかかわるもの、もう1つは価値の腐敗にかかわるものです。
 
 
<不平等・公平性の問題>
この問題は、その売買が本当に公正な状況で行われているものかという問題と、全てがカネで取引される社会は貧富の差があらゆる場面でこれまで以上に人々の生活に違いを生じさせることになるという問題の2点です。
 
①それって公正な取引なの?
例えば、お金が欲しくて仕方のない薬物中毒患者にお金を払って不妊手術をさせるのは公正な取引と言えるのか。
 
迫害を逃れようとしている難民から入国料を取ることは?
 
子ども育てるためにお金が必要なシングルマザーが自分の額に企業宣伝の入れ墨を入れる権利を売買することは?
 
生活費に困り売春をすることは?
 
いずれも、強制的と言えないものの、公正な状態での取引とは言えないのではないでしょうか。自由意志での選択ではなく、そうせざるを得ない状況があるからです。
 
②不平等の拡大
カネで買えるものが増えれば増えるほど、裕福であることが重要になります。
裕福であることのメリットが、いい車に乗ったり大きな家に住んだり、美味しいものを食べたりといったことだけではなくなるからです。
 
例えば、政治的な影響力が増し、優れた医療を受けることができ、安全な地域に住むことができ、小さな頃から公立学校ではなく私立学校へ通学することができ、列に並ぶことなく優先的に多くのサービスを受ける権利を得ることができるなど。
 
生活の隅々に市場価値が入り込むことで、カネを持っていることが世界におけるあらゆる違いを生み出すようになってきているのです。
 
 
<価値の腐敗にかかわる問題>
腐敗に関わる問題は、生きていく上で大切なものや慣行に市場の論理を持ち込むことで、ときとして大切にすべき非市場的価値が、市場価値に押しのけられてしまうことです。
 
市民の権利や義務、健康、教育、家庭生活、生命などの道徳的価値が関わる部分に、市場価値を持ち込むことは、その品位を落とし、本来そのものが持っていた価値を誤った方法で評価することになり、その価値は貶められ腐敗することになります。
例えば、著者は次のように述べています。

あるものを売買してもかまわないと判断するとき、われわれはそれを商品として、利益を得る道具、使うための道具として妥当だと、少なくとも心の中では判断している。しかし、このやり方であらゆるものの価値が適切に測れるわけではない。最もわかりやすい例が人間だ。奴隷制がおぞましいのは、人間を商品扱いし、競りの対象とするからだ。こうした扱いによって、人間の価値を適切に評価することはできない。人間は尊厳と尊敬に値する人格として評価すべきであり、利益を得るための道具、利用する対象とみなしてはならないのだ。
それ以外の大切なものや慣行についても、同じようなことが言える。われわれは、子供を市場で売買することを認めてはならない。買い手が子供を虐待しないとしても、子供を売買する市場は、子供の価値を測る誤った方法を表現し、促進することだろう。 P.21

この2つの問題を軸にして、市場価値がかつてないほど生活を支配するようになった社会を見つめることはつまり、われわれがいかにして共に生きたいのか、そして我々が大切にする社会的善の価値を公に考えることの必要性について気づかせてくれます。
 
現代に欠けている議論は、市場の役割とそれが入り込む範囲に関わるものであると著者は述べています。
 
公共生活や人間関係において市場が果たすべき役割は何だろうか。
売買されるべきものと非市場的価値によって律せられるべきものを区別するにはどうすればいいのか。
カネの力が及ぶべきでない場所はどこだろうか。
 
行き過ぎた市場社会のさまざまな姿と、それぞれにつきまとう道徳的な違和感について、不平等や公平性、価値の腐敗の観点からわかりやすく解説されたおもしろい本です。
 
前作は、「正義」について様々な立場の意見を紹介して「あなたはどう思う?」という感じで投げっぱなし感があったけれど、今作は著者自身がこう思い、読者にもこう思って欲しいという感じで書かれていて、僕は今作の方が好きです。
 
それから、第4章「生と死を扱う市場」で書かれているバイアティカル(生命保険買い取り産業)や生命保険の道徳的な歴史、テロの先物市場や死亡債などの話は、とてもショッキングで考えさせられるところも多いので、必読だと思います。
 
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