「空き巣」というのは、日中に留守宅に忍び込んで金品を盗む泥棒のことである。
本書の著者は、50数年以上に渡り「空き巣」稼業で喰ってきたという執筆当時73歳の爺さんである。
「空き巣」は強盗と違って人を傷つけたりしないからいいのだという訳の分からない自慢をしているあたりからして、うむむって思うのだがきっと僕だけではないはず。
当たり前のことだが、人を傷つけようが傷つけまいが、泥棒は犯罪である。
今は空き巣稼業から足を洗って警備員の仕事についているようだが、なんの反省もなく、偉そうに「空き巣」自慢をするような男に警備員がよく勤まるものである。
僕ならこんな男は信用できないし、もちろん自分の周りでは警備員として働いて欲しくもない。
そもそもこの男、根っからのクズである。それは次のような記述を見ればよくわかる。
私は現在までの五十数年間、夜の忍びや日中の空き巣をしてきたが、自慢できることは、家人に発見されても、居直ったり危害を加えたりしたことは一度もなく、ひたすら逃走することを実践してきた。悪事はするが、家人を傷つけたり殺害するような極悪非道な行為は、絶対にしてはならないと自分を戒めてきた。(P.2)
自分を戒める基準が違うでしょwww 思わず嗤ってしまった。
そうじゃないでしょ?空き巣も含めて悪事を働かないように戒めようって思うよね。
そして、空き巣の魅力をこう語るのである。
誰にも発見されることなく屋内に侵入した時の陶酔感は、麻薬を打った時のような作用をしてしまうのである。もちろん大金を見つけたときの喜びは大変大きな物がある。しかし、その前の状態、屋内に侵入したとたんにわき上がってくる、例えようのない快感こそが、「空き巣」の快感の極地なのである。(P.4)
先に書いておくが、この著者、何度か警察に捕まって刑務所に服役していたこともある。
それなのにだ、本書を読むと、刑務所というものは決して犯罪者を更生させないどころか、新たな悪行のコネクション作りに役立っているということがよくわかる。
刑務所で見つけた仲間と犯罪を行った経験が本書には書かれているからだ。
例え刑務所に服役しても、何も心根は変わらないのである。刑務所の維持管理や服役者の食事などは全て税金で賄われているというのに。
「大金を見つけた時の喜び」ってなんのためらいもなく普通に書いているけど、他人の金だろ!って思うし、「麻薬を打った時のような」って表現からすると、著書の中では特に告白はしていないが、彼は麻薬を使っていた可能性も高いのではないかと思う。
本当にもう、苦笑するしかない本なのである。
それでも、そんな本をなぜ手に取り読み終えたのか。
それは、帯に書いてあった「オドロキの体験談は、反面『空き巣予防の実用書』でもある」という言葉に引かれたからである。
ところが、そんな効用なんて期待してはいけない。内容に腹を立てながらも、最後まで希望を捨てずに読んだけど「空き巣予防の実用書」の部分なんて微塵もなかった。
この本は、空き巣のプロを自認する爺さんが、自分の過去の悪行をおもしろおかしく書き綴っている本にしか過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。
したがって、空き巣予防にはほぼ役に立つことはないし、自慢げに語られる空き巣自慢をただ苦笑しながら、時には腹を立てて読むことくらいにしか役に立たない。それを役に立つといえるのならば...だけど。
確かに、読み方によっては失敗談がおもしろおかしく書いてあるから、楽しめるのかもしれない。でも、待てよと。そのおかしさの裏には被害者が存在するのである。やっぱり手放しでは楽しめない。
いったいこの本を読んで誰が得をするというのであろう。
あまりもくだらなく、ゲスの極みである。ゲスの極みと言っても本来の意味であり、最近人気のバンドのことではない。
こんな本のことをブログに書いてなんの意味があるのだろう?と自問自答しながら書いているわけだけど、もし役に立つことがあるとすれば、僕のように空き巣対策になるのでは?と勘違いして買う人が減ることくらいだろうか。
そんなくっだらない本である。もしそれでも興味があったら読んでみるといいと思う。
たぶん僕と同じような後悔の念にとらわれること間違いなしだから。
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