[ま]ありがと @kun_maa
一時期に比べればかなーりマシにはなったけれど相変わらず情緒不安定。
さっきまでクラフトビールを飲んで楽しく笑っていたと思ったら帰り道で突然思い出し泣きしてますしおすし。
結局ひとりぼっちになるとダメなんですな。そして夜の静けさが苦手。
いろいろ思い出してタラレバが脳内で始まると最終的には泣きます。情けない。
基本的にリアルな友達が少ないもんだから極端なさみしがりやのくせにつらくなったときに連絡を取る相手もいないわけ。
やっぱり持つべきものは友達だよなって思うよこういうときは。だからといって僕から泣き言ばっかり聞かされてもすっげー迷惑だろうけど。
それで何かと理由をつけてはビアバーで独り飲んで癒されているのさー。
そんな僕が Twitter でネガツイするのはもう必定。他に吐き出すところがないからさ。
リアルの人格とネットの人格を使い分けたほうがいいよってアドバイスをしてくれる人もいるけどなかなか難しいんだよね。自分不器用ですから...
リアルが悲しいとネットでも笑えない。リアルに侵食されるネットの中の自分。
やっぱり使い分けなんてできないよ。
それでもさ Twitter で気にかけて声をかけてくれる人たちもいるわけ。
ほんのひとことふたことでも凹んでさみしくなっているときにはすごくうれしいものだよね。別にお前のこと気にして声をかけてるわけじゃねーしって言われかっもしれないけどさ。それでも僕は感謝してるんだ。
こんなめんどくさい僕に絡んでくれてありがとって。
ばんばん @banban201405さんはいつもブヒブヒ言ってるけど僕が弱ってる時にさりげなく声をかけてくれてうれしい。
elve @test_hygienicさんはオフ会で会う前は恐い人だと思ってたけどけっこー気さくに声をかけてくれて心和む。そしてかわいい。← これ書いとけばきっと許される。
かんどー@セブ島 @kintamationsさんは得意の虫ネタぶっ込んできて元気付けてくれるところが素敵です。
陽苑 @yoooenowadaさんはすっと寄り添うような優しい言葉をかけてくれて救われる。
ゆに @unikurashiさんはすっげー凹んでいるときにさりげなく優しい声掛けをしてくれて助けられた。
ねむれないさめ @nemurenaisakanaさんはスマホの画面をバキバキにするくらい本人が大変みたいだけど気持ちにゆとりがある時はそこそこいいやつ。
wiz7@はてなブログ @twwiz7 さんは意識高い系のプロジェクトマネジメントの人だとばかり思っていたら気軽に声をかけてくれてホッとさせてくれる優しさの持ち主。
たけちゃん @take__chan_さんは変態で辛口なんだけど時々優しい。
よーじ(:3_ヽ)_ @youzy715さんはやおっぱいネタでいつもタイミングよく和ませてくれて本当助かってる。
Daiji Okuno @odaijiさんはほんのひとことで気持ちをほぐしてくれてすごい。こんな言葉巧みなおっさんになりたいと思う。彼は僕より年下だけど。
もし宝くじが当たったらみんなにお礼として500万円ずつ贈呈したいくらいありがたいと思っている。宝くじ買ってないしこれからも買わんけど。......ごめん。
くだらない戯言は置いといてほんと感謝しているんだ、ありがと!
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。
[ま]今宵もビアバーの片隅で @kun_maa
顔と名前を覚えてもらって気軽に雑談をすることができるビアバーが僕にはいくつかある。特に落ち込んだりしていない通常モードでは美味しいクラフトビールを飲みながらお店の人とビール談義をしたり居合わせた常連さんとの雑談を楽しんだりひたすらビールと向き合い味わいつくしたりしている。
そんなビアバーの中でも最近特に世話になっているのが浦和の「CRAFT BEER BABY !」と富士見市にある自称日本一暇なビアバーである「Beer Glass Hopper」だ。
落ち込んで飲み過ぎている僕を気遣ってくれたり、逆に陽気になるまでどんどん飲ませてくれたり。とても居心地がよくてつらいことや悲しいことがあるとつい避難してしまう心のシェルター的な存在。
georgetown Lucille 3杯目!泣きたい…#日本一暇なビアバー
どちらの店も僕のビールの限界量を知っているのでそれ以上に飲ませることはしないから安心して任せっぱなしで飲み続けることができる。
他に客がいない時には僕の恋の愚痴や相談や馬鹿話を聞いてくれたりもする。
幾つになっても恋に悩み人生に生きづらさを感じている僕にとっては仕事の関係でも古くからの友人関係でも家族でもない貴重な居場所がそんな顔なじみのビアバーなのだ。
ひとりでふらっとお店を訪ねて黙って座ると僕が注文する前に飲みたいビールをズバッと言い当てられて驚いたり、彼女いない歴15年を誇る暇なビアバーのマスター(ごめんバラしちゃったw)には死ぬほどさみしく荒んだ気持ちを癒されてこんな僕でも生きていていいんだって思わされたりもした。
UPUP IPA 伊勢角屋麦酒3杯目ー♪#日本一暇なビアバー
恋に悩む僕に親身にアドバイスしてくれたBABY !のふたりが立つカウンター席も僕にとって貴重な居場所なんだ。
時には両側をカップルに囲まれてその幸せそーで能天気な姿に嫉妬したり、若者の愛の告白場面に遭遇したりと附属要素も存分に楽しめる特殊な空間。
つらく悲しい気持ちで立ち寄っても帰る頃にはそのつらさや悲しみが少し軽くなっている不思議な場所。それが僕にとって顔なじみのビアバーなんだ。
今宵もともすれば泣き出してしまいそうな情緒不安定で重たい気持ちを引きずってそんなビアバーの片隅で僕は荒んだ心を癒していることだろう。
そして顔なじみのビアバーがある限りなんとか生きていけるような気がしているんだ。
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。
[ま]心乱れて梅雨空の下 @kun_maa
ただでさえ気が塞いでいるというのに梅雨空にしとしと雨が続いて余計心が締めつけられるようです。
降る雨に罪があるはずもなくただただ自分の不甲斐なさと恋の悩み故に鬱々とした日々を過ごしています。
それでも今日は日中仕事に忙殺されたおかげで昨日のような錯乱状態に陥る一歩手前で踏みとどまることができている危ういバランス。
日頃はめんどくさいと思う仕事も悩む暇すら与えない状況に僕を置いてくれることで正気を保つ役割を果たしてくれるのですから何が幸いするかわからないものです。
むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ(第4巻720番)
たちかへり泣けども我れは験なみ思ひわぶれて寝る夜しぞ多き(第15巻3759番)
気持ちはまだまだこの万葉集の歌のごとき状態。乱れて情緒不安定。
人生なかなかうまくいかないものです。
好きとか嫌いとか愛しているとかいないとか。必要だとかもういらないとか......
心が晴れる日はいつか来るのでしょうか。
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。
[ま]自滅崩壊する思考と感情 @kun_maa
僕は自分の感情や行動すら思いどおりにコントロールすることができなくて。
歳を重ねても人間として成長しているとはとてもいえず、いつまでたっても自分勝手な発言や行動で人を傷つけ続けている。
それでいてなお誰かを救いたいだの支えになりたいだのって、できもしないことを思ったり口にしたりして実際には誰一人守ることなどできなくて周りの人たちを不愉快にしたり不幸にしたりし続けている。
誰かに必要とされたいのに誰からも必要とされていない感覚と絶望感ばかりが感情を支配している。
自分のダメなところに気づいたのならどうやってそんな状態を挽回すればいいって思う?と問いかけられても一生懸命頑張るよって間抜けな答えしか出せない僕はもう毎晩のように消えてしまいたいって消えてしまいたいって思い続けるばかりで先に進めない。
自分自身で消えさることも怖くてできなくて。そんな勇気もなくて。
きみとの楽しかった想い出やきみの笑顔を思い出しては涙が溢れてくる。
気持ちのいい風や綺麗な雲を眺めてはなぜか切なくなって自然に涙が流れていて、なんで泣いているんだろうって気がつくと今度は嗚咽が止まらなくなって。
涙と鼻水まみれのわけのわからない感情に押し流されてもう自分がなんだかわからなくなってしまうことの繰り返し。先が見えない進めない閉塞感。
そんな愚かしい状態を相談できる人はもう僕には誰もいなくて。
きみの心が離れてしまって素直に気持ちを吐き出す場所がなくなってから、ずっとダメな自分ときみへの想いと歪んだ感情を抱えていたらもうどうしたらいいのか本当にわからなくなってしまって。
モレスキンに書き出してみたけれど字が震えてぐちゃぐちゃになりそこに涙が滴るものだから余計読めなくなってしまい壁に叩きつけた。
こんなふうにブログに書き出すことがいいことなのかどうかもわからない。
自分の言葉に責任を持つって決心に矛盾しているような気もするけど本当にもうどうしたらいいのかわからないんだ。
こんな泣き言を書きながら頭がおかしくなっているんじゃないかって自分で思うんだけど他に気持ちをぶつけることもできなくてもしかしたらこれを読んだ人が不愉快になるかもしれないって思うけれどそう考えてももうこんなことしか書けなくて。
書きながらバカみたいに泣いている僕はやっぱりどうかしているんだなって自覚はあるけどそれでもどうしたらこのおかしな悲しみや虚無感や無力感から逃れることができるのかさっぱりわからない。泣きながらこんなまとまりのない駄文を打ち続けることしか今の僕には出来ない。
本当はきみに逢いたくて逢いたくて仕方ないのにそれを言い出すことももうできなくてこんな僕に逢ったところでもうきみを楽しませることなんてできるわけないだろって余計に虚しくなっちまってまた涙が溢れてくる。
いったいどうしたらいいのかなって途方に暮れて泣いているだけで何かが変わるわけなんてないのは痛いくらいよくわかっている。
だけどどうしたいいのかもう僕にはわからないんだ。自滅して崩壊していくのを止める術もなくこんなはずじゃなかったんだ。
ほんとうにごめんなさい。
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。
[ま]太陽がまぶしくて @kun_maa
ここ数日鬱々とした日々を過ごしている。
理由はちょっと掘り下げればすぐにわかることだけど掘り下げて考えることが怖いのとその余裕がないほど心が疲弊しているから目をそらそうとしている。自分に正面から向き合おうとしない臆病で不誠実なところにはほとほと呆れてしまう。
そんなわけで今日は仕事をサボって運転免許の更新に行ってきた。あと数日で有効期限が切れてしまうからってのはもちろんだが本心は仕事をする気力がなかったから。
免許の更新なんてものは決まりどおりに手続きを済ませればいいので気分がどうであろうと関係なく行える。重い腰を上げればいいだけの話だ。
警察署まではそれなりに距離もあるので自転車で往復すれば日光を浴びることもできる。気分が落ち込んでいるときは太陽の光を浴びるといいというのはよく聞く話だし、自分の経験上も有効な手段だとわかっている。
ここは太陽にでもすがってみるかと軽い気持ちで僕は身支度をはじめた。
昨日は終日部屋に引きこもって寝ていたものだから起き上がるとふらふらした。
昨夜の眠りがとても浅くて何度も目が覚めたことや食欲がなくてほとんど食べ物を口にしていないというのも関係あったのかもしれない。
ほんの少し自転車をこいだだけで冷たい汗が出て眩暈がしてきた。
交差点の赤信号で止まって呼吸を整えながら見上げた空に夏の日差しのような太陽。
太陽の方を向いて目を瞑りそれでもまぶしさを残す強い陽光をジリジリと顔に感じていた。少し暑すぎるよな。そんなどうでもいいことを考えていた。少し心にゆとりができたのだろうか。
次の瞬間グラッと頭が揺れる感覚がして倒れそうになった。
左足に力を入れて自転車ごと倒れるのを踏みとどまったと安堵した途端にこみ上げる吐き気。
僕は横にある街路樹の根元に倒れ込むようにして吐いた。何も食べていないので胃液しか出てこない。こういう吐き気はいつも以上に苦しくて苦手だ。
吐き気は3回ほどでおさまった。
苦痛で流れて瞼とまつ毛を濡らす涙に乱反射した太陽がまぶしすぎて僕の憂鬱に刺した影が深みを増したような気がした。
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。
[ま]伝わらない言葉と欠けた心 @kun_maa
僕はこんなふうにブログを書いたりLINEで会話をしたりTwitterでつぶやいたりと文字を書くことで気持ちや考えを表現しようとすることが比較的多い。
仕事では面と向かってのコミュニケーションが圧倒的に多いけれど私生活では完全に文字派だ。特にこだわりがあって文字推しってわけではなく生活が自然にそうなってきただけなんだけどさ。
前にも何度か書いたことがあるけれど、僕は基本的に人間同士は本当にお互いが自己認識しているとおりにわかりあうことはできないんじゃないかって思っている。
お互いにそれぞれの解釈をして微妙に誤解しながらも概ねなんとなくうまくやっているっていうのが現実なんじゃないだろうか。
文字で自分の考えていることや気持ちを書き表そうとするときに、もちろん自分なりに相手に伝わるよう書いているつもりではいるんだけど、一言一句その言葉が相手にどんな思いを抱かせるかということまで想像力を働かせて書くことはない。
できることならそこまで考えて表現するべきなのかもしれないけれど、自分が書くもの全てについてそこまで考えていたらそれだけで疲れてしまって前に進めなくなる。
それと同時に誤解を恐れるあまり何も書くことができなくなってしまう。
だから親しい人であればあるほどそこは前後の文脈やこれまでの会話などを考慮して自分の本意をくみ取ってほしいと思ってしまう。それは自分勝手な甘えなのだろうか。
書いてしまった言葉は自分の元を離れて相手に届いた時点でその解釈は相手に委ねられることになる。その解釈が自分の本当に伝えたいことと大きな齟齬が生じないように自分なりに考えたつもりで書いてはいても文字だけで伝わる情報量は多くないし齟齬が生じる可能性は大きい。
もし大きな齟齬が生じたときに「そんなつもりではなかった」と言うことは醜い言い訳に過ぎないのだろうか。
相手に解釈を委ねざるを得ないことは文字のやり取りという手段を取る以上は必然である。相手に委ねた結果の解釈が自分が伝えようとしたこととは違っていることがわかって悲しくなったりさみしくなったりした時にその感情だけを相手に伝えることは自分の意図を汲み取ることを押し付けるだけの傲慢で自分勝手なことなのだろうか。
ここ数日そんなことをつらつらと考えながら僕はまだ自分なりの答えを出せずにいる。言葉を発することに今まで以上に真摯になりたいと思うのと同時に、コミュニケーションって伝える側の努力はもちろん必要だけど、受け手側の言葉を理解しようという努力も必要なんじゃないかとも感じている。
言葉が思い通りに伝わらないっていうコミュニケーション不全の状態は100%伝える側が悪いのではなく、受け手側にも問題があることは往々にしてあるんじゃなかろうか。そこにお互いの信頼や信用という要素が関わってくるんだろうし、そういう関係ができていない間柄ではなおのこと慎重に言葉を尽くす必要があるんだろうけれど。
少なくとも受け手側が理解しようという努力を怠ってうまくいくとは思えない。
僕はまだまだこれからも言葉で伝えるということについてもっと慎重に考えなくちゃいけないなって思っている。
それにしても気分の落ち込みはひどいもんだ。
無気力と虚無感に包まれて何もする気にならない。ようやくブログをこんな風につらつらとまとまりもなく書き綴ることができた。
僕には相手を思いやる心が欠けているのかもしれない。自己中心的で自分のことしか考えない冷たい人間なのかもしれない。自分の言葉が相手を傷つけるということに無自覚すぎたのかもしれない。そんなことばかりが頭を占領していてうなだれるばかりだ。
Twitterにも甘ったれたTweetを垂れ流してる。僕はあまりにも弱い。弱いから許してほしいと思っているわけではないけど。ただ弱すぎるんだよ。人間が薄っぺらい。
そして自分の主張こそが絶対の正義だというものこそ疑え。
このブログを気に入っていただけたら、ちょくちょくのぞきに来ていただけるとうれしいです。そして、とっても励みになります。
RSS登録していただける方はこちらのボタンをご利用ください。