タイトルを見ただけで切なく不安な気持ちに囚われる。
この「わたしを離さないで」という言葉には幾層もの意味が込められているのだが、ここでそれを語ることはしない。
なぜなら、まずは余計な情報を持つことなく読んでほしい作品だからだ。
ストーリーは「介護人」という職業を長く勤め、まもなく辞めることとなるキャシーという31歳の女性が過去を振り返って物語るという形式で進行する。
その語り口はあくまでも冷静。ある施設での日常とその後の生活が丁寧に描かれていく。
読者には小説の舞台となる施設や社会について、作品中の登場人物と同じ知識しか与えられない。
作品の中のひとりのように感じる不安と謎めいている雰囲気。それでいてある意味では平凡ともいえる生活の描写。
物語は少しずつ違和感を伴いながらも次第に、まるでジグソーパズルのピースがひとつひとつはめ込まれていくかのように、絡まった糸が次第に解きほぐされていくように、その作品世界の異常さをさらけだしていく。
次第に明らかにされる作品世界の仕組みと主人公たちの運命。
それでも、我々は本当のところは最後までなにもわかっていない。
まるで大人の世界のことがわかった気になっている自分の少年時代を思い出させる。
読者はまずどこかの児童養護施設で繰り広げられる青春ドラマかと思い、次にSFもしくはミステリー作品かと思わされることになる。
しかしそこから浮かび上がってくるのは、人間とはなにか、愛とはなにか、偽善の含む残酷さ、そして「死」という誰もが受け入れざるを得ない人生のはかなさを考えさせられる異色の作品である。
なかなかショッキングな内容を含んでいるのだが、それでもじっくりと丁寧に語られることで逆に静かにとても静かに読み手の胸に突き刺さっていく。
この場で多くを語ることは、読者の体験を奪うことになると思いつつ言葉を選んでこれを書いているわけだが、もしかしたら全てを知った上で読んでもこの作品の本質は損なわれないのではないか......とも思わされる稀有な作品でもある。
自分自身、再読したときになにを新たに感じ取ることができるか楽しみな気持ちがある。
ちなみにこの作品は2010年にイギリスで映画化されている。
先日その映画を観た。
原作とは違い最初から謎は明かされている。さらに上映時間の関係でしょうがないのかもしれないが、三人のメインキャストの描かれ方がとても浅い。
静かな日常が微妙な違和感を伴いつつ次第に残酷な世界へと変わりゆく出演者視点のおもしろさに欠け、全体を俯瞰できる位置から見せられるひたすら暗い雰囲気だけが漂う作品に成り果てていた。
原作を読んでいなければもしかしたらそれなりに感動したのかもしれないが、あれはいただけない。原作の世界観が台無しだ。違う作品と呼んでもいいくらいだ。
他にも舞台化されたり日本のドラマになったりしているようだが、僕は残念ながら舞台も日本のドラマも観ていない。
イギリスの映画化作品に幻滅したからというわけでもないが、きっとどうやっても原作には敵わないような気がする。
映画やドラマからこの作品に入ってしまった人にはぜひとも原作を読んでみてほしい。
とても静かだけど心に消えないものが残る印象的な作品なのである。
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