[ま]映画「セブン」/クライマックスのブラッド・ピットの表情が秀逸な誰も救われないサイコ・サスペンスの傑作 @kun_maa
ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グウィネス・パルトロー、ケヴィン・スペイシーという豪華キャスト、監督はデヴィッド・フィンチャーという1995年の映画「セブン」を久しぶりに観ました。
有名な映画なので観たことがある人も多いと思いますが、カトリックにおける「七つの大罪」(作品中ではダンテの神曲「煉獄篇」を取り上げていましたね)をモチーフにした猟奇殺人と、それを追う2人の刑事ミルズ(ブラッド・ピット)とサマセット(モーガン・フリーマン)の姿を描いたサイコ・サスペンス作品。
主役となる2人は、退職を一週間後に控えた刑事サマセットの冷静沈着で世の中を諦めているような態度と、退屈な田舎町の警察署から無理やり転勤してきたばかりで、大きな殺人事件を解決したくてウズウズしている若い刑事ミルズ(ブラッド・ピット)の、感情丸出しの激情的な姿が対照的なコンビです。
極度な肥満男の手足を拘束して、強制的に物を食べさせて内臓破裂させるというイカれて残虐な方法で殺された死体の発見から始まる連続殺人のモチーフは「七つの大罪」。
キリスト教的な文化が一般的ではない日本では、なかなか馴染みがないですけどね。僕もこの映画で知ったくらいですしおすし。
- GLUTTONY(暴食)
- GREED(強欲)
- SLOTH(怠惰)
- LUST(肉欲)
- PRIDE(傲慢)
- ENVY(嫉妬)
- WRATH(憤怒)
最初の肥満男の死はその殺され方からわかるとおり「GLUTTONY(暴食)」であり、胃の中にそのメッセージも見つかります。
その後も、この七つの大罪をテーマにした猟奇殺人が続きますが犯行シーンはなく、犯人は観ている我々にも明らかにされません。
観せられるのは、猟奇的な殺害現場と死体と猥雑な都会の風景と雨、雨、雨。
1週間、毎日変わっていく曜日が表示され、ずっと陰気に降り続く雨のシーンと雨音、都会の雑踏と猥雑さがとても効果的に使われています。光と闇、ある色彩の強調などのコントラストの強い映像は観ているだけで気持ちが憂うつになります。
この映像の効果的な演出は事件の不気味さと合わせて本当にトラウマになりそうです。
そして、劇中にすっかり取り込まれていくのです。
3つの殺人事件の発見のあと、違法な手続きで手に入れた手がかりから犯人にたどり着く2人ですが、偶然外出していて帰ってきた犯人に気付かれて、まんまと逃走されてしまいます。なぜかチャンスはあったのにミルズを殺さないで逃走する犯人。
犯人の名は「ジョン・ドウ」。
ジョン・ドウの部屋から発見される大量の証拠とその異常性をうかがわせる装飾やノート類の数々とは対照的に、ひとつも見つからない指紋や彼に結びつく物や情報。
そして唐突にかかってきた本人からの計画変更を告げる電話。
その後も発見される新たな2人の犠牲者。
ジョン・ドウをたどるための情報は断ち切られ、為すすべもなく次の犠牲者の発見を待つしかないのかと思わせておいて、突然血まみれで警察署に出頭してきたジョン・ドウ。しかも、まだENVY(嫉妬)とWRATH(憤怒)の犠牲者は明らかにされていない状況。
ジョン・ドウに関しては、警察が調べても本名も職業も殺人の目的も全く不明。
ただ、弁護士を通して残りの2つの死体の隠し場所をミルズとサマセットにだけ教えるという謎の提案をしてきます。
そして謎が謎を呼び、陰鬱とした都会の風景のなかで絶妙のテンポで進むサイコ・サスペンスは、ついに結末をむかえます。
それまでの陰鬱とした都会の風景とは一転した乾燥して広々とした荒涼たる風景のなかに、高圧線の鉄塔や廃棄された車や犬の死骸などが散乱する現場。
この風景と色彩の反転も、心象変化を効果的に導いていると感じます。
現場に向かう車中でジョン・ドウに「お前は罪もない人たちを殺した」というミルズに対して、ジョン・ドウは次のように言い放ちます。
罪がない? 冗談だろ
あの肥満男 満足に立つこともできず あのまま人前に出れば誰もが あざ笑い 食事中に あいつを見れば食欲は消え失せる
あの弁護士など感謝状をもらいたい あの男は生涯をかけて 強欲に金を稼ぐためにあらゆるウソをつき 人殺しや 強姦魔を街に放してた
あの女!心が醜くて見かけだけでしか生きられない
ヤク中など 腐った肛門愛好者だ
それに あの性病持ちの娼婦
この腐った世の中で 誰が本気で奴らを罪のない人々だと?
だが問題は もっと普通にある人々の罪だ
我々は それを許してる それが日常で些細なことだから 朝から晩まで許してる
だが もう許されぬ
私が見せしめをした 私のしたことを人々は考え それを学び そして従う
永遠にな
そして、サマセットに対しても、
私は憐れみなどしない 皆 神に滅ぼされたソドムの住民と同じだ
と告げます。
完全にイカれた異常者の言動ですが、感情的に反論するミルズに対して、言葉を飲み込み明確に反論しない(できない?)サマセット。
そして決定的な瞬間へと続く、それまでのテンポとは明らかに違うゆっくりとした時間の流れ。
最悪の出来事に、最後の瞬間まで感情をあらわにして苦悶するミルズと、その感情の発露が消え去ったあとの表情の変化をブラッド・ピットが見事に演じています。
あの表情の変化は、台詞でなくまさに顔で心情全てを表現していると言っても過言ではない素晴らしさ。
結局、ジョン・ドウの犯した犯罪の理由は最後まで明らかにならず罪を償うこともなく、WRATH(憤怒)はともかくENVY(嫉妬)に関してはどうにもモヤモヤが残り、野心に満ち溢れて感情的に生きたミルズは大罪の駒と成り果て、厭世観漂うサマセットはさらにその度合いを深めて諦めを胸に生きて行くことになるという、誰も救われない結末なのですが、間違いなく強烈に印象に残るサイコ・サスペンスの傑作といえる作品です。
最初に観たのは20年近く前だというのに、ストーリーはトラウマのように心にこびり付き、観るたびに新たな発見や感情の揺れを呼び起こしながら、またひとつ心に傷跡を残していくような、僕にとってはとても貴重な映画のひとつです。
まだ観ていない方には熱烈におすすめします。
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