[ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

ぷるんにー(พรุ่งนี้)とはタイ語で「明日」。好きなタイやタイ料理、本や映画、ラーメン・つけ麺、お菓子のレビュー、スターバックスやタリーズなどのカフェネタからモレスキンやほぼ日手帳、アプリ紹介など書いています。明日はきっといいことある。

[ま]映画「ゾンビ」の巻 @kun_maa

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僕たちが確かにここにあると思っている自分の意識というものは本当に存在しているのだろうか。

もしかして意識なんてものは何かの錯覚でしかなくて、僕たちは脳内の物質的な法則に従って単純に外部刺激の入力と反応という出力を繰り返しているだけの哲学的ゾンビなのではないかと想像することがある。

哲学的ゾンビには物理的な法則とは別の存在としての意識がないので当然自由意志は存在する余地もなく物理法則に縛られているだけの機械的な存在だ。

 

僕の意識が確かに存在するのだということをどうやって証明したらいいのだろう。

そしてその意識は物理的な反応などではなく、意識体験を伴った特別なものであるのだとどうしてわかるのだろう。

なぜ僕自身は哲学的ゾンビではないと言い切れるのだろう。

そんなことばかり考えていると不安になって怖くなるので適当なところで引き返すことにしているのだけど。

モシカシテボクガオナジアヤマチヲクリカエスノハオナジシゲキノニュウリョクニキカイテキニハンノウシテイルダケダカラナノカモシレナイ...

 

哲学的ゾンビというのは物理主義を否定するための哲学的な思考実験のひとつで映画に登場するゾンビとは全く別物なのだけどゾンビ作品を観るたびにそれを思い出すんだ。

 

というわけでジョージ・A・ロメロのゾンビを久しぶりに観た。

言わずと知れたゾンビ映画の金字塔であり不朽の名作だ。

ゾンビ 米国劇場公開版(字幕版)

不自然に青い皮膚の色とのろのろと彷徨い歩く姿が特徴的なこの作品に登場するゾンビはその後に描かれる多数の作品におけるゾンビの姿を決定づけたといってもいい。

孤立したショッピングセンターでのヒャッハー体験はゾンビに支配されたアポカリプス的な世界を堪能するために欠かせない。

 

意識を無くしたゾンビたちと自由気まま意のままに生きようと本能をむき出しにする人間たちの対照的な姿。

破壊されるかつては人間だったものの肉体と自滅する精神。

そこには人間の意志なんて実は存在しないのではという僕の不安なんて消し飛ぶような爽快感すらある。

それは一種のカタルシス

こんなふうにカタルシスを感じるというそのことに意識の存在を託すことはできるのだろうかと思いながら、やっぱりロメロのゾンビは最高だよなって今日も僕はぐだぐだと酔っ払う。 

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